けんちん汁発祥の地・建長寺を訪ねて

撮影:サトウノブタカ

■けんちん汁に生きる禅の心

家庭でよく作られるけんちん汁が、じつは、精進料理であるということはご存じでしょうか。その名前は、鎌倉時代に創建された禅寺・建長寺に由来するもので、もともとは、修行僧に供された、野菜くずを無駄なく使うために作る料理でした。“建長寺の汁”がいつしか“建長(けんちん)汁”として広まったといわれています。
けんちん汁に秘められた禅の心を、建長寺の村田靖哲(せいてつ)さんに伺いました。
「精進料理では、殺生(せっしょう)をしてはいけないという仏教の教えから、肉や魚は用いません。野菜は植物ですが、『他の者の命をいただく』という気持ちから、皮も残さず使います。そして、食材はなるべく薄く、細かく切ります。これは、多くの修行僧たちに『普(あまね)く公平に』行き渡るよう、という仏教の『食平等(じきびょうどう)』の教えからきたものです」
建長汁には、こんな逸話も伝わります。
もともと「煮る」か、「焼く」が主流だった日本の調理法に、素材を油で炒めてから煮るという方法を取り入れたのは、中国から禅の教えを伝えた初代住職、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)(大覚禅師〈だいがくぜんじ〉)によるというもの。また、豆腐を手でくずして入れるのは、修行僧が落としてしまった豆腐を、蘭渓が洗って汁に入れたのが始まりなのだとか。

■畑作業も修行の一つ

建長寺の三門の右手には、小さな山門の奥にゆるやかな坂道が続きます。参拝者が立ち入りを禁じられたこの区域には、禅の道場があり、ここでは日々、僧が修行に励んでいます。道場からさらに墓地を抜けた小高い場所には畑があり、ここでの畑作業も、修行の一つとされています。
僧堂での役割は当番制で、畑の管理は“園頭寮(えんずりょう)”と呼ばれる部署が担っています。村田さんも入門2年目のときに、先輩僧と二人で半年間、これに従事していました。
「ホウレンソウ、コマツナ、ナス、インゲン、ピーマン……。いろいろな野菜を育てました。タネや苗を市場で購入し、鎌倉街道をリヤカーを引きながら歩いて行くんです。歩道が狭く、車の通りも激しいのですが、作務衣(さむえ)を着ているせいか、後ろからクラクションを鳴らされることはありませんでした。畑仕事は手探りで失敗も多く、丈夫で、初心者でも育てやすいはずのモロヘイヤを枯らしてしまったこともあります」
ちなみに、“建長汁”に入れるダイコンやニンジンなどの、土を深く念入りに耕さなければならない野菜は、畑が粘土質のため、育てるには不向きなのだとか。

■ダイコンも托鉢? 沢庵に見る禅の教え

ダイコンは育ちにくいとのことでしたが、修行僧の食事には、必ず沢庵(たくあん)が添えられます。食事の最後には湯水の入った折水器(せっすいき)が回され、これで自分の用いた器をすすぎ、最後に沢庵できれいに拭い清めます。
「堂内だけでなく、托鉢(たくはつ)など外で食事をいただいたときも同じようにします。おひつや鍋のような大きな器でも、最後に沢庵、なければ、葉もの野菜などで、きれいにしてからお返しします。これは、お出しいただいたものを感謝して残さずいただきましたという気持ちの表れです」
ちなみにこの沢庵は、1月の半ばに三浦半島のダイコン生産者を一軒ずつ訪ね、托鉢でいただいたもの。場所を借りて半月ほど干し、寺に持ち帰って大樽で漬けます。
薄く切られた、その沢庵を一切れいただいてみました。
「塩辛いでしょう? 日もちのこともありますが、修行で“作務(さむ)”と呼ばれる労働をする僧にとっては、貴重な塩分補給源でもあるんです。
また、紙のように薄く切るのは、噛(か)んでも音がしないようにとの配慮。食事をする“食堂(じきどう)”は、坐禅(ざぜん)をする“禅堂”“浴室”とともに“三黙堂(さんもくどう)”と呼ばれる修行の場で、お経以外の一切の音が禁じられています。そして、ここにも“食平等”の教えが実践されています」
一椀のけんちん汁、一切れの沢庵にも、建長寺に伝わる禅の教えがありました。
※テキストには建長寺のけんちん汁のつくり方を掲載しています。
■『NHK趣味の園芸 やさいの時間』2016年12月号より

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