レヴィ=ストロースの「火あぶりにされたサンタクロース」
フランスの人類学者レヴィ=ストロースは、1952年に、サルトルからの執筆依頼を受けて、雑誌『レ・タン・モデルヌ(現代)』にユニークなクリスマス論を発表しています。まだサルトルとの仲が良好であった時期のことです。前の年のクリスマスに、ディジョンという街で原理主義的な聖職者や信者たちによって、子供たちの目の前でサンタクロース像に断罪を下して火刑に処すという、ショッキングな事件がありました。この事件を受けて、厳格なレヴィ=ストロースにはめずらしいジャーナリスティックな筆使いで、この論文は書かれましたが、そこには非西欧世界の異教の祭とキリスト教のヨーロッパでのクリスマス祭との関係について、きわめてユニークな分析がくりひろげられています。明治大学野生の科学研究所所長の中沢新一(なかざわ・しんいち)さんが読み解きます。
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ヨーロッパのクリスマス祭が、古代ローマやケルトの異教の祭がベースになっていることは、よく知られています。太陽の力が一年のうちでもっとも弱くなる冬至をはさんだ季節は、世界中の「異教の民」にとって危険をはらんだ重大な時期でした。この時期、昼間の時間が極端に短く、夜の時間が極端に長くなります。
昼と夜のバランスが大きく崩れるこの季節には、生者と死者の力関係のバランスも崩れて、死者たちが生者の世界に侵入してきます。そのため、冬至祭には、死者に扮した仮面の神々が我が物顔で歩き回るようになります。そこで人々はこの死者の霊をあらわした異形の存在たちに、さまざまな贈り物(お供物)をあたえてご機嫌を取り、お引き取りいただくことによって、ふたたび世界のバランスを回復しようとする祭をおこないました。
このとき、子供や若者組が、死者の役につきました。子供はまだ「あの世」から出てきて日も浅い存在ですし、若者はどこの世界でも「ヤンキー」として、この世の秩序を紊乱(びんらん)しようとする傾向があります。祭の夜、異形の仮面と衣装をまとって異界の存在をあらわしたものたちが、騒音楽器をガラガラジャラジャラと鳴らしながら、村の中に入ってきます。家の中には大人たちが籠っていて、子供や若者組が真っ暗な夜道を練り歩くという、異様な光景です。仮面のバケモノたちは家々を回り、お供物を集めて歩きます。こうやって死者霊をあらわす異形のものを親切に対応すると、福がやってくるという信仰です。
こういう異教の祭を、キリスト教会は上手に「キリスト生誕祭」であるクリスマスに組み込んだのです。キリストがお生まれになる前の冬至の時期には、世界を闇が覆い、悪鬼や死霊が徘徊していた。そこにイエスが誕生することによって、この世界には光がもたらされることになった。こうしてヨーロッパのキリスト教世界ではクリスマスをクライマックスとする「十二夜」の祭が、おこなわれていたのです。
ところがブルジョアの世界である十九世紀になりますと、「十二夜」の前半をなす部分は良俗に反する危険な思想をはらんでいるとして、問題視されるようになります。とくに子供と若者組の行動は白い目で見られるようになり、都市部からしだいに祭の構造が変化してきます。祭の主役だった子供が家の中に籠って「いい子」であるようにしていると、家の外の闇の中から「鞭打ちじいさん」がやってきて、子供を脅しながら贈り物を届けてくれます。この「鞭打ちじいさん」にはまだ死者霊の色濃い雰囲気が残されていましたので、しだいにそれも古拙だと見られるようになりました。そこに登場してきたのが、キリスト教の伝統の中で「子供たちの守護聖人」と考えられてきた聖ニコラウスです。こうして「鞭打ちじいさん」にかわって、優しい面貌をしたサント・ニコラウス=サンタクロースが、登場することになったわけです。
冬は古代の異教社会では「贈与の季節」と考えられていました。盛大なお祝いの祭がくりひろげられ、贈り物を交換しあうのです。「十二夜」もこの贈与の祭の一環でした。サンタクロースが子供に贈り物を持ってきてくれるのも、その前身である冬の祭において、子供や若者組の扮した死者に贈り物をするのも、共同体どうしがさかんに贈り物の贈答合戦をするのも、みな「冬は贈与の季節」という未開社会いらいの「野生の思考」的な感覚が残されているからです。そこに目をつけたのが、近代の資本主義でした。「冬は贈与の季節」という感覚に手が加えられて、クリスマスは盛大な「商戦」のくりひろげられる祭の時期へと変貌したのです。
ディジョンでサンタクロースの火刑がおこなわれた当時、大戦後で経済が疲弊していたフランスは、アメリカからのマーシャル・プランによる戦後復興計画の恩恵を受けて、景気には活況が戻り始めていました。フランスはアメリカからの「贈与」によって生き延びることができたのです。デパートにはアメリカ風の華美な装飾がほどこされ、人々は豊かなプレゼントを交換しあうことに、平和の喜びをかみしめていました。古いフランス風の「ペール・ノエル」にかわって、アメリカ風の「サンタクロース」がデパートの前で子供たちの人気者になっていました。そういう風潮に危機を感じたキリスト教原理主義者たちは、消費文化といっしょに異教が復活しようとしていると感じて、サンタクロース火刑を思いついたのでした。
レヴィ=ストロースはこの論文の中で、「死者との交換」のような「野生の思考」の産物が、現代の資本主義文化の深層部でしたたかな活動を続けている様子を、あきらかにしています。それどころか資本主義自体が、「贈与」や「増殖」をめぐる「野生の思考」から生命を得ています。現代の経済システムですら、新石器時代以来の普遍的思考法を土台にしているわけですから、「野生の思考」を遅れた不完全な思考と言ってすますことはできません。
■『NHK100分de名著 レヴィ=ストロース 野生の思考』』より
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ヨーロッパのクリスマス祭が、古代ローマやケルトの異教の祭がベースになっていることは、よく知られています。太陽の力が一年のうちでもっとも弱くなる冬至をはさんだ季節は、世界中の「異教の民」にとって危険をはらんだ重大な時期でした。この時期、昼間の時間が極端に短く、夜の時間が極端に長くなります。
昼と夜のバランスが大きく崩れるこの季節には、生者と死者の力関係のバランスも崩れて、死者たちが生者の世界に侵入してきます。そのため、冬至祭には、死者に扮した仮面の神々が我が物顔で歩き回るようになります。そこで人々はこの死者の霊をあらわした異形の存在たちに、さまざまな贈り物(お供物)をあたえてご機嫌を取り、お引き取りいただくことによって、ふたたび世界のバランスを回復しようとする祭をおこないました。
このとき、子供や若者組が、死者の役につきました。子供はまだ「あの世」から出てきて日も浅い存在ですし、若者はどこの世界でも「ヤンキー」として、この世の秩序を紊乱(びんらん)しようとする傾向があります。祭の夜、異形の仮面と衣装をまとって異界の存在をあらわしたものたちが、騒音楽器をガラガラジャラジャラと鳴らしながら、村の中に入ってきます。家の中には大人たちが籠っていて、子供や若者組が真っ暗な夜道を練り歩くという、異様な光景です。仮面のバケモノたちは家々を回り、お供物を集めて歩きます。こうやって死者霊をあらわす異形のものを親切に対応すると、福がやってくるという信仰です。
こういう異教の祭を、キリスト教会は上手に「キリスト生誕祭」であるクリスマスに組み込んだのです。キリストがお生まれになる前の冬至の時期には、世界を闇が覆い、悪鬼や死霊が徘徊していた。そこにイエスが誕生することによって、この世界には光がもたらされることになった。こうしてヨーロッパのキリスト教世界ではクリスマスをクライマックスとする「十二夜」の祭が、おこなわれていたのです。
ところがブルジョアの世界である十九世紀になりますと、「十二夜」の前半をなす部分は良俗に反する危険な思想をはらんでいるとして、問題視されるようになります。とくに子供と若者組の行動は白い目で見られるようになり、都市部からしだいに祭の構造が変化してきます。祭の主役だった子供が家の中に籠って「いい子」であるようにしていると、家の外の闇の中から「鞭打ちじいさん」がやってきて、子供を脅しながら贈り物を届けてくれます。この「鞭打ちじいさん」にはまだ死者霊の色濃い雰囲気が残されていましたので、しだいにそれも古拙だと見られるようになりました。そこに登場してきたのが、キリスト教の伝統の中で「子供たちの守護聖人」と考えられてきた聖ニコラウスです。こうして「鞭打ちじいさん」にかわって、優しい面貌をしたサント・ニコラウス=サンタクロースが、登場することになったわけです。
冬は古代の異教社会では「贈与の季節」と考えられていました。盛大なお祝いの祭がくりひろげられ、贈り物を交換しあうのです。「十二夜」もこの贈与の祭の一環でした。サンタクロースが子供に贈り物を持ってきてくれるのも、その前身である冬の祭において、子供や若者組の扮した死者に贈り物をするのも、共同体どうしがさかんに贈り物の贈答合戦をするのも、みな「冬は贈与の季節」という未開社会いらいの「野生の思考」的な感覚が残されているからです。そこに目をつけたのが、近代の資本主義でした。「冬は贈与の季節」という感覚に手が加えられて、クリスマスは盛大な「商戦」のくりひろげられる祭の時期へと変貌したのです。
ディジョンでサンタクロースの火刑がおこなわれた当時、大戦後で経済が疲弊していたフランスは、アメリカからのマーシャル・プランによる戦後復興計画の恩恵を受けて、景気には活況が戻り始めていました。フランスはアメリカからの「贈与」によって生き延びることができたのです。デパートにはアメリカ風の華美な装飾がほどこされ、人々は豊かなプレゼントを交換しあうことに、平和の喜びをかみしめていました。古いフランス風の「ペール・ノエル」にかわって、アメリカ風の「サンタクロース」がデパートの前で子供たちの人気者になっていました。そういう風潮に危機を感じたキリスト教原理主義者たちは、消費文化といっしょに異教が復活しようとしていると感じて、サンタクロース火刑を思いついたのでした。
レヴィ=ストロースはこの論文の中で、「死者との交換」のような「野生の思考」の産物が、現代の資本主義文化の深層部でしたたかな活動を続けている様子を、あきらかにしています。それどころか資本主義自体が、「贈与」や「増殖」をめぐる「野生の思考」から生命を得ています。現代の経済システムですら、新石器時代以来の普遍的思考法を土台にしているわけですから、「野生の思考」を遅れた不完全な思考と言ってすますことはできません。
■『NHK100分de名著 レヴィ=ストロース 野生の思考』』より
- 『レヴィ゠ストロース『野生の思考』 2016年12月 (100分 de 名著)』
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