道元が答えを探し続けた「なぜ修行をしないといけないのか」という疑問

仏教思想家のひろさちやさんは、鎌倉時代に曹洞宗(そうとうしゅう)を開いた道元について、禅僧であると同時に偉大な哲学者であると評します。道元の生い立ち、そして青年時代をひろさんに解説していただきました。

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道元は正治二年(1200)、京都の貴族の名門に生まれました。近年は異説も提起されていますが、従来の説によれば父は内大臣久我通親(こが・みちちか)、母は関白太政大臣藤原基房(もとふさ)の娘であったと言います。当時の貴族は政治家です。貴族の家系に生まれたということは、本来であれば政治家になるよう運命づけられていたと言えます。
しかし道元は、三歳にして父を、八歳にして母を亡くします。そのことも理由になるのでしょう、十四歳のとき、比叡山(ひえいざん)の天台座主(てんだいざす)公円(こうえん)に就いて剃髪染衣(ていはつぜんえ)しました。政治の世界を離れ、宗教の世界へと身を転じたのです。
ところが、政治と宗教ではまったく発想が違います。政治の世界は目的論的思考の世界です。未来に一つの目的があり、その目的達成の手段として、現在の事物が利用される。たとえば、「人間は何のために生きるのか」と問いを立て、「それは子孫を残すためだ」などと答えるのが目的論的思考です。しかし宗教では、目的など設定しません。そこに宗教の一つの大きな特色があります。いま述べた問いで言えば、「○○のために」と考えるのが政治的な発想です。そうではなく、生きているものはただ生きている。その事実から出発するのが宗教です。
道元は仏教者になろうとして出家しましたが、なかなかその世界に馴染(なじ)めませんでした。貴族の家に生まれ、政治家になるべく教育を受けてきたわけですから、当然のことかもしれません。
そんな道元は比叡山で修行を始めてまもなく、一つの大きな疑問に行き当たります。それは、「仏教においては、人間はもともと仏性(ぶっしょう/仏の性質)を持ち、そのままで仏であると教えている。それなのになぜ、わたしたちは仏になるために修行をしないといけないのか」というものです。
この問いは、仏教の根本に触れる大きな疑問です。と同時に、プロの宗教者からはまず出てこないものだとも言えるでしょう。プロの宗教者にとって、修行をするのはあたりまえのこと。なぜ修行をするのかと考えるのは、たとえばプロ野球の新人選手がコーチに「なぜ練習をしないといけないのですか」と聞くようなものです。そんなことを聞いたら「おまえはアホか」とあきれられるのがオチでしょう。プロ野球選手にとって、練習するのは当然のことです。それと同様に、僧であるかぎり修行するのが当然です。
道元は自分が抱いた疑問を比叡山の学匠(がくしょう)たちにぶつけますが、誰も満足のいく答えを与えてはくれません。それはある意味愚問であり、答えようがないからです。そこで比叡山を下り、諸方の寺々に師を訪ね歩きましたが、そこでも答えは得られません。しかし、その過程で「その問題は自分で考えてごらん」という示唆(しさ)を受け取ったのでしょう。建保(けんぽ)五年(1217)、十八歳になった道元は京都・建仁寺(けんにんじ)の明全(みょうぜん)の弟子となり、その六年後の貞応(じょうおう)二年(1223)、明全とともに宋に渡りました。もちろん、自らが比叡山で抱いた疑問を解くためです。
ところが、宋に渡ってもなかなか疑問に答えてくれる人は現れません。諦(あきら)めかけて日本に帰ろうとしたところで、最後に、天童山景徳寺(てんどうざんけいとくじ)で如浄(にょじょう)禅師という立派な師に会うことができました。この人こそ自分の求める師であるとして、道元は如浄の下に参禅して悟りに達し、長年の疑問を解き明かします。二十六歳のときのことです。
■『NHK100分de名著 道元 正法眼蔵』より

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