「堕落」の真の意味

敗戦後の混沌とする日本と日本人に対し、「堕落せよ」と大胆に提言した坂口安吾(さかぐち・あんご)。では、堕落することによって人はどう救われるのか。堕落の先にあるものは何なのか。東京女子大学教授の大久保喬樹(おおくぼ・たかき)さんとともに、安吾が説く堕落の真の意味を読み解いていきたいと思います。

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■制度に身を預けることは欺瞞である

安吾は、『堕落論』の八か月後に発表した『続堕落論』において、人間がつくる制度の功罪を、村社会や天皇制を例に、より具体的に論じています。
たとえば戦時中、農村文化こそ日本文化の原点であり、この原点に還れなどと盛んに言われたことをとりあげて、実際の農村とは代々受け取ってきた既得権益を守ることだけに執着して凝り固まっているような保身の文化であり、それは戦時中の軍隊や戦後の成金などにも継承されていると痛烈に指摘します。
また天皇制については、藤原氏なり将軍家なり、時代時代の執政者が自らに都合よく天皇を利用するためにつくり出した制度に他ならず、この図式は戦時中の軍部と天皇の関係にそのまま当てはまるのであり、国民もそれを受け入れていたことを指摘します。そして天皇の玉音放送により終戦が告げられたことを振り返り、人々は天皇によって救われたと言うが、歴史を見渡してみれば天皇とは非常時に持ち出される「奥の手」で、「軍部はこの奥の手を本能的に知っており、我々国民又この奥の手を本能的に待ちかまえており、かくて軍部日本人合作の大詰(おおづめ)の一幕が八月十五日となった」と喝破するのです。
たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕(ちん)の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外(ほか)ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ!

(『続堕落論』、以下同)



ここで安吾が「嘘をつけ!」と叫ぶ相手は、この儀式を準備した軍部や政治家と、それを喜んで受け入れた国民の両方でしょう。そして安吾はこう断じます。
我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍(たけやり)をしごいて戦車に立ちむかい土人形の如くにバタバタ死ぬのが厭(いや)でたまらなかったのではないか。戦争の終ることを最も切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。そして大義名分と云い、又、天皇の命令という。忍びがたきを忍ぶという。何というカラクリだろう。惨(みじ)めとも又なさけない歴史的大偽瞞(だいぎまん)ではないか。
ここに出てくる「カラクリ」という言葉は『続堕落論』のキーワードのひとつで、人間を安心させるために権力者がつくりだし、また人々も積極的に従ってしまう仕組みのことです。日本人は、この巧妙なカラクリに歴史を通じて取り憑(つ)かれて自分の力で考えることをしなくなり、人間としての「正しい姿」を失ったと安吾は言うのです。

■「カラクリ」を脱ぎ捨てよ

この「カラクリ」から脱出しなければならない、それによって人間本来の正しい姿に復活することができる。これが堕落ということの意味なのです。
人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度(ごはっと)だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々(せきらら)な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一条件だ。そこから自我と、そして人性の、真実の誕生と、その発足が始められる。
「カラクリ」という衣装を脱ぎ捨て、裸の人間となって出発しなおす。言い換えれば、「自分の生命力に従って生きる」ということであり、野性に戻る、本能に従う、とも言えるでしょう。いやなものをいやといえない欺瞞(ぎまん)を捨てて、己の本能を見つめる裸の人間として復活するために「日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ」と安吾は断言し、こうつづけます。
私は日本は堕落せよと叫んでいるが、実際の意味はあべこべであり、現在の日本が、そして日本的思考が、現に大いなる堕落に沈淪(ちんりん)しているのであって、我々はかかる封建遺制のカラクリにみちた「健全なる道義」から転落し、裸となって真実の大地へ降り立たなければならない。我々は「健全なる道義」から堕落することによって、真実の人間へ復帰しなければならない。
ここで安吾は「健全なる道義」から転落せよと述べています。敗戦後に人々の道義は頽廃したというが、ならば再び戦前戦中に叫ばれたような「健全なる道義」に戻ることが望ましいことなのか。いや、それでは再び戦前戦中と同様の罠に落ちてしまう。「健全」とは、額面通り受け取れば、虚偽を脱した正しい姿という意味ですが、安吾はそれをわざわざカギ括弧(かっこ)に入れ、その「正しさ」を皮肉たっぷりに批判しているのです。
■『NHK100分de名著 坂口安吾 堕落論』より

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坂口安吾 『堕落論』 2016年7月 (100分 de 名著)
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