加藤正夫名誉王座との愛憎入り交じる思い出

イラスト:石井里果
『NHK 囲碁講座』の連載「二十五世本因坊治勲のちょっといい碁の話」。師匠・木谷實九段、呉清源九段の思い出から、石田章九段へのジェラシー、王立誠九段に対する恨み言まで、趙治勲(ちょう・ちくん)二十五世本因坊ならではの語り口で紡がれるエッセイは、碁界においてのみならず、広く人気を博しています。
7月号では、2004年に逝去された加藤正夫名誉王座・九段との思い出を綴ります。

* * *

何年か前になりますが、麗しの師範代、そう加藤さんの奥様と何かのパーティーでお会いしたことがありました。運命的な再会だとぼくは強く思っています。「加藤はもういませんが、『週刊碁』を今でも送っていただいております」って言ってたなあ。日本棋院もたまにはいいことするねえ(笑)。
その中に、ぼくが連載している「お悩み天国」という小さなコーナーがあるんだけど、そこを「面白く読んでいます」と言ってくれたんだ。うれしいよねえ、これも運命だよね、きっと。感動です。それまでは碁界関係者の誰が読んで、どんな感想を持とうと関心なかったんだけど、このときはうれしかったなあ。でもそのころ、うちの奥さんは生きていたんでね。ピンピンしてた。今、そんな話をしてくれたら、ちょっと違う展開もあり得たかも(笑)。
加藤さんは運動神経には関係ない人でした。どういう意味で言っているか分かりますよね? ところがゴルフはとてもうまかった。ゴルフは運動神経と関係ないって気付いたね。
加藤さんとゴルフコースに出たのは海外対局のときが多かったです。そこで思い出すのはこんな笑い話。ラウンド中に聞いてみたの。「コースに出るのは今日で何回目?」って。すると「3回目だよ」って加藤さん。そのときは11月くらいだったから、今月に入って3回目だと思ったの。そしたらね、その年で3回目だったんだって。ぼくはその週で3回目だったのにね(笑)。
日本で会うのは棋院で手合のときくらい。会話を交わしたこともほとんどないです。戦う相手と仲よくするのは気持ち悪いでしょ? でも、海外対局のときは連帯感が生まれるんだろうね。楽しい時間を共有できました。
ゴルフにまつわる思い出はもう一つあります。タイトル戦で地方に出かけたときのことです。飛行機が天候不良で着陸できなくて、出発した羽田空港に戻ることになりました。そうなったら陸路しかありません。新幹線に乗って、船に乗り換えたんだったかな。対局地に着いたのは深夜でした。すると誰かがこんなことを言い出しました。「これでは明日の対局に影響が出る。一日延ばせないか」と。そしたら、主催の新聞社、対局場の旅館、関係者、みんな何の問題もないって(笑)。のんびりした時代だったんだろうねえ。
次の日はいきなりヒマに。もうゴルフの一手です。加藤さんとのラウンドは楽しかったなあ。あんなに楽しいゴルフは後にも先にもない。本来なら対局でピリピリしているはずなんだから。ちなみに、加藤さんと国内で一緒にプレーしたのはこれが最初で最後です。
あとまだ若かったころ、どこかで飲んで酔っ払って、加藤さんの家に連れていってもらったことがあります。他のことは何一つ覚えていない中、廊下がやけに広かった記憶だけが残っていてね。ぼくも家を建てたとき、広い廊下にしてくださいって注文しました。
記憶の中だけかもしれないけれど、バカげたほど廊下が広かった。でもなぜか、いいもんだなと感じたんだなあ。それは加藤さんと奥様の醸し出していた雰囲気なのかもしれないけど…。今は毎日後悔です。なんでわが家の廊下はこんなに無駄に広いんだと…。
加藤さんは晩年、日本棋院の副理事長、理事長を務めました。いつも大きな紙袋を抱えて走り回っていたなあ。碁界の将来を憂いてね。感謝の気持ち、いっぱいあります。もっと生きてほしかった。麗しの師範代の件はいまだに釈然としないものがありますが、嫉妬するのもなんだかなという年になったしね(笑)。まあ、奥様に免じて許してあげようかな。ぼくの中で加藤さんについては好きと嫌いがいつも同居しています。これが正直なところです。
■『NHK囲碁講座』2016年7月号より

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