戦後70年を経たいま、『堕落論』を読む意義

敗戦後の日本社会で一世を風靡(ふうび)した「無頼(ぶらい)派」を代表する作家、坂口安吾(さかぐち・あんご)。終戦の翌年に発表された『堕落論』は、それまで日本人を縛ってきた道徳観をことごとく否定し、そこから解放されるべきことを「堕落」という挑発的な語を用いて説きました。東京女子大学教授の大久保喬樹(おおくぼ・たかき)さんは、戦後70年を経たいまこそ、この作品が“効く”と指摘します。

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1906(明治三十九)年、新潟の旧家に生まれた安吾は、家庭にも学校にもなじまない少年時代を送った後、上京して、仏教、フランス文学などを集中的に学び、ついで、小説創作に転じました。フランス流のファルス(風刺的笑劇)を狙いとした『風博士』(1931[昭和六]年)等により特異な才能を認められて作前、戦中期は、時代状況の制約もあり、その真価を十分に発揮するまでにはいたりませんでした。やがて終戦となり、これを境に、それまで閉塞(へいそく)していた言論、出版活動が急速に息を吹き返し始めると、その先導者のように、安吾は一挙に文壇、言論界の前面に登場します。1946(昭和二十一)年、『堕落論』によって道徳意識の革命を説き、小説『白痴』でその具体像を描き出して、世間に大きな衝撃を与えたのです。
たちまちのうちに安吾は当代の流行作家となり、現代小説と並行して、『桜の森の満開の下』のような民話的小説、『信長』のような歴史小説、『不連続殺人事件』のような推理小説、『安吾新日本地理』のようなルポルタージュ文学など、さまざまなジャンルにわたって筆をふるいました。
また安吾は、作品だけでなくその私生活においても、無頼派ぶりが際立っていました。同じ無頼派でも、太宰治が自分を卑下し破滅へ向かおうとする弱気のタイプであるのに対し、安吾は自分の生き方や主張というものを積極的に行動に移した強気のタイプでした。たとえば、税務署による差し押さえを不服として国税局と闘ったり、競輪で不正が行われたと見れば検察にそれを告発したりと、自分がおかしいと思えば権力にも何に対しても闘う人だったのです。
そうしたことも含めて、世間から見れば、まさに世の中の慣習に挑戦、挑発する無頼派作家というイメージを体現したのが安吾でした。安吾は、それまでの社会常識の一切がご破算となった戦後の混沌とした状況を作品でも生き方でも象徴する存在として、世の中に大きな影響を与えたのです。
それを最も端的に示すのが、今回取り上げる『堕落論』です。『堕落論』は、敗戦直後の混迷する社会状況を鋭く見抜き、それに立ち向かうための生き方を大胆に提示してみせた評論です。では、戦後70年を経たいま、この『堕落論』を読む意義はどんなところにあるのでしょうか。
昨年、憲法改正是非の問題などでさまざまな議論がなされたように、いま、日本人や日本社会は、どのような方向に向かっていけばよいのかという進路が明確に見えにくくなってきています。そうした状況に私たちはどう立ち向かえばよいのか──。
『堕落論』の中で安吾は、そうした時には原点に還ることが必要だと述べています。世の中の規範、道徳、常識といった前提条件をいったんすべて外し、いわば素っ裸の人間になって現実に直面してみろというのです。安吾が放つ、固定化された前提を突破していくエネルギー、常識的な生き方や硬直した文化観をひっくりかえしてくれるエネルギーは、常識的な人間にとって目から鱗(うろこ)が落ちるように刺激的なものです。特に、人生の転機に立った人、いままでの自分のやり方ではこれ以上進めないと感じている人にとっては、大変“効く”評論であるとも思います。
■『NHK100分de名著 坂口安吾 堕落論』より

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