「あなたはプロになれません」と“逆お墨付き”をもらっていた白江治彦八段

撮影:小松士郎
囲碁普及の第一人者として、その明朗な語り口で絶大な人気を誇る白江治彦(しらえ・はるひこ)八段。「一人でも多くの人に囲碁を知ってもらおう、好きになってもらおう」との情熱は78歳となった今も全く衰えず、席が温まる間もないほど精力的に全国を駆け回っている。
そんな白江八段の入段時における、知られざるエピソードから。

* * *


■「あなたはプロになれません」

私が院生になるべく石川県の田舎から東京に出てきたのは、17歳のときでした。でも当時の師範だった杉内雅男、梶原武雄という恐ろしい先生方が私の碁を見るなり「とてもじゃないけど、プロになんてなれない。今日すぐ夜汽車で田舎に帰りなさい」とおっしゃいましてね…。
でも郷里から出てくるときにせん別までもらっていましたから、帰ったりしたら格好がつきません。だから「お願いですから院生にしてください」と、土下座に近い状態で何度も頼みました。すると最後にとうとう杉内先生が折れてくださったのですが、同時に「私が保証します。あなたはプロになれません」という“逆お墨付き”をいただきました。
今になって思うと、あのとき「5%くらいなら可能性がある」と言われなかったのがよかったなと…。とにかく「全く駄目」と言われたことで「そんなすごい世界なのか」と心したのが幸いしたのでしょう。実は1年で入段してしまったのです。
当時は院生が101人いたんです。私より2歳下の工藤紀夫さんは13、4歳のときに東北のアマチュアチャンピオンになった秀才で、小西泰三くんは西日本本因坊。さらには大竹英雄さんというとんでもなく強い人もいて、もうお化けみたいな人ばかり…。競争してもかないっこないのだから「自分は自分なりに」と考えたのがよかったのでしょうか。
私なんかが一日何十時間勉強しても知れたものなのですが、この院生だった1年強だけは本当によくやったと思います。毎晩、碁盤に突っ伏したまま眠ってしまうくらいでしたから。幸いにも入段できて、プロ初手合の相手が工藤さん。私より2年先に入段していて、すでに大物と騒がれていました。
大手合の黒番だったのですが、コミがないとはいえ、なんと私が勝っちゃったんですよ。それで「あれ、こんなものか」と思ったのが敗着で、そこからあっという間に、あれよあれよの5連敗、6連敗です…。

■両輪が…

私もね、入段した当初は、そりゃタイトルを取りたいと思っていましたよ。でも同時に、プロに入ったときから私の中では「棋士にとって手合と普及は両輪である」という確かな思いがあったのです。
囲碁ファンがいなくなったら、棋士という職業は存在できなくなります。でもその反面、棋士がいなくなっても、碁は存在し続けます。そういう点に思い至っていない棋士があまりに多いのではないかというのが、私がずっと抱き続けている思いでして、棋士が普及をおろそかにしてきたから今、中国や韓国に追い越されている──決して大げさではなく、そこまで話がいくのではないかと思うのです。
かつて世界選手権ができて、武宮さんたちがホイホイと優勝して、当時はまだ日本が威張っていましたからね。中国や韓国はヤキモキしていたと思うんです。でもかの国の人たちは、子どもに碁をやらせました。日本を倒すと大きな丸がもらえるといって、子どもたちが必死に碁に取り組める環境を作っていったのです。
一方で日本はというと、子どもには勉強や受験があるという環境…。これまで中国や韓国がしてきたように、日本も就学前の子どもたちに碁のよさを教えて「それいけー」というふうにやらないと駄目でしょうね。
ただね、中国は国がスポンサーになってやっていて、韓国もそれに近いことをやるようになっている。でも日本もそうしろと言っても、現状ではいかんともしがたい…。この状況をどう打開していけばいいのかは私にも分からず、そういう知恵を出してくれる人がいれば、私もこの年になっても協力できるのですが…。今の囲碁界でさっき言った「手合と普及の両輪」がうまくかみ合っていないところが、なんとも歯がゆくてなりません。
■『NHK囲碁講座』2016年5月号より

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