司馬遼太郎の三英傑評

「その存在が与えた社会的影響」という視点から、性格や資質を一言で表すような明確な人物評を特徴とする司馬文学。前回は司馬遼太郎の人物の描き方について歴史家・静岡文化芸術大学教授の磯田道史(いそだ・みちふみ)氏に解説いただいた。それを踏まえ、いよいよ織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑評を見ていきたい。

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最晩年のエッセイ『この国のかたち』では、信長、秀吉、家康について、次のように述べています。
「すべては、信長からはじまった。/(中略)近世の基本については信長が考え、かつ布石した」(三、58「家康以前」)
 
「信長は、すべてが独創的だった」(一、11「信長と独裁」)
 
「(秀吉は)その性格が、あかるかったのも、かれの美質だった」(三、55「秀吉」)
 
「家康は物の上手(じょうず)であっても独創家ではなかった」(三、58「家康以前」)
まず信長は、「すべてが独創的だった」としています。近年の歴史学研究の立場では、信長はもちろん「すべて」が独創的だったわけではなく、室町幕府の機構やあり方に代表される旧来の伝統や慣習も重んじていたという面が明らかになっています。しかし、鉄砲の重視や天守(主)閣の建設、鉄甲船を用いた新戦術、あるいは人材登用の新しさ、本拠地の移転など、ほかの大名では思いつかないことを次々と繰り出してくることは確かで、司馬さんはそうした部分こそが歴史を動かす主要な力であると見るわけです。
そして、信長評で最も重要な指摘が「合理主義者」です。人間を機能で見る。それでいて非常に直観的で、美しいものが好きであるという、芸術家のような側面を持っていると司馬さんは指摘します。信長は「であるか」というのが口癖で、言語をもって長々と自分の考えや思想を伝えない。こういう人物について、司馬さんはもどかしいのか、よく「彼がもし著述を残していたならば」という表現をしています。
次に秀吉については、明るい人物で、柔軟性に富んでいて、人に好かれる才能を持っているとしています。その一方で、価値観は非常に即物的で形而下である。つまり、大きな城を建てるとか、たくさんの武士を集める、軍勢を集めるといった現実的なことには興味を持つけれども、絵画の美しさなどにはあまり関心がない。おそらく、この時代の庶民が持っていた素直な欲望と明るさを体現した人物として、司馬さんは秀吉を描いています。また、日本人の庶民が持つ能力の高さといったものを秀吉に象徴させていると思います。
家康については「物の上手であっても独創家ではなかった」と述べているように、信長とは対極に置いています。家康は面白味のない現実主義者として描かれることが多く、吝嗇(りんしょく)で、辛抱強く、家の存続のためにひたすら忍従していく。要するに、現実の上に立つか立たないかという観点が大事であって、面白さというレベルではものごとを決めない。家康も合理性は持っていますが、信長との違いは、遊び心を抱いているかどうかにあります。
さらに三人の違いに踏み込むならば、女性の好みに目を向けてみるとわかりやすいでしょう。司馬さんは、信長は美しいものであれば、男でも女でも何でも好んだ、というように書く。信長にとっては、自分の直感で「美しい」と思えるかどうかが重要で、その女性が子どもを産むかとか、身分が高いかとか、そういったことよりは、自分の頭の中にある価値観が大事でした。
逆に、秀吉が好んだのは高貴な女です。信長の関係者や公家の娘、旧室町幕府の名門守護大名の娘ばかりを周りに集めていることから、秀吉が欲しかったのは権力と富と地位という、庶民の欲望の対象であることがわかります。司馬さんは、他人が評価するものを欲しがる人物として秀吉を描いているのかもしれません。
一方で司馬さんは、子どもを産む女をひたすら抱き続けた家康の姿を、即物的な面で価値あるものとして描いています。つまり、女性や子どもを政治の道具として活用し、自己の権力と徳川家の存続を図ることに徹する家康です。信長は「美しい女」、秀吉は「貴き女」、家康は「産む女」を好んだ──という括り方で、司馬さんは三英傑の姿を描ききっているように私は思います。
■『NHK100分de名著 司馬遼太郎スペシャル』より

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