彦坂直人九段が棋士人生で唯一緊張した瞬間

撮影:小松士郎
島村俊廣に始まり、岩田達明、羽根泰正、山城宏─。連綿と紡がれてきた日本棋院中部総本部の流れをくみ、中部勢の主力として活躍し、1998年に十段位を獲得して大輪の花を咲かせた彦坂直人(ひこさか・なおと)。この彦坂十段誕生が、3年後の羽根直樹の躍進(天元獲得)へとつながり、ひいては現在の伊田篤史(十段)が台頭する下地を作ったと言っても過言ではない。
中部総本部の歴史に確かな1ページを記したこれまでの棋士人生を、彦坂本人に振り返ってもらった。

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■棋士人生唯一の緊張

僕の父親がアマの7段くらいと結構強くて、その父親が他の人と打っているのを見て、碁を覚えました。11歳になるくらいのころだったので、プロになる人間としたら、めちゃくちゃ遅いスタートだったことになります。
でも、学校の勉強をしないで碁の勉強ばかりしていたので、すぐに強くなりました。1年で初段くらいになって、さらにその1年後に6段くらいになっていましたから…。学校の授業中は、教科書に詰碁の本を隠して、といった毎日だったのです。
今で言う院生のようなものですが、プロになるための養成所が名古屋にありまして、アマ初段のころからそこに入っていました。小学校の文集に「囲碁のプロになる」と書いていたくらいですから、覚えてすぐ碁に夢中になって早々にプロを目指していたようです。
で、中学2年の夏休みにプロ試験に受かったので、覚えて3年でプロになったことになりますか。でも別に目標とか大それたことは考えていなくて、ただただ「碁を打つのが楽しい」とそれだけを思っていた記憶があります。そしてプロになっても夢中で碁を打っていたら、21歳のときに天元戦の挑戦者決定戦にまで進出してしまいました。当時の加藤正夫先生とか小林光一先生といった方々に勝っているのですからびっくり。今考えれば、絶対に勝てるわけがないのに、なぜか勝ってしまったのです。
それまでは何も考えていなくて、ただ無我夢中で打っていただけだったのに、いざ挑戦者決定戦にまで進出したら、周りがざわざわし始めたんですよ。今でこそ若い棋士が挑戦者争いをするのは珍しくないですけど、当時は「21歳で五段」が挑戦者決定戦にまで進むというのは、本当に珍しかったのです。だから周囲の人たちが「今度の挑戦者決定戦、ぜひ頑張れ!」と…。それで柄にもなく、ものすごく緊張してしまったのです。
実は僕、あとにも先にも、碁で緊張した経験はこのときの1回だけなんです。のちに挑戦者決定戦やタイトル戦に出たときも、決して緊張はしませんでしたから…。でもこの21歳のときだけは緊張した。相手は淡路修三先生(当時八段、現九段)だったのですが、序盤早々の30手か40手くらいでツブれてしまって、あっという間に負けてしまったのです。
もしこの碁に勝っていたら、結構な快挙だったと思いますけど、何しろすごく弱かったので、五番勝負に出ても負けていたでしょう。それよりも「碁って緊張すると、こんなにひどいことになるんだ」と分かったことが、大きな勉強になりました。もう自分でも、本当にびっくりしましたから…。
そういえば、この碁に負けたあと、印象深いことがありました。王立誠さんから「なぜあんなに早く投げたんだ?」と言われたのです。とても大事な碁で、まだ碁盤は広いのだから、投げてはいけないと…。僕は「もうめちゃくちゃ悪いのだから、しかたがない」と思ったから投げたのですが、立誠さんだけではなく他の人からも似たようなことを多く言われたので「そういうものかな」と思ったりもしたのですが…。
※藤沢秀行名誉棋聖との出会い、十段位奪取、そして弟弟子にあたる伊田篤史十段への思い……続きはテキストでお楽しみ下さい。
■『NHK囲碁講座』2016年3月号より

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