歴史をつくる歴史家、司馬遼太郎
歴史家・静岡文化芸術大学教授の磯田道史(いそだ・みちふみ)氏は、作家・司馬遼太郎を「歴史をつくる歴史叙述家」であると評する。その論拠を伺った。
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司馬遼太郎さんは、作家であると同時に、歴史について調べ、深く考えるという意味においては歴史家でもありました。しかし、他の歴史家と、司馬さんは一線を画しています。司馬さんは、ただの歴史小説家ではありません。「歴史をつくる歴史叙述家」でした。非常に稀ではありますが、日本史上何人かこうした歴史家は存在します。歴史というのは、強い浸透力を持つ文章と内容で書かれると、読んだ人間を動かし、次の時代の歴史に影響を及ぼします。それをできる人が「歴史をつくる歴史家」なのです。
後世の歴史に影響を与えたと言っていい最初の歴史家は、もしかすると『太平記』の作者とされる小島法師かもしれません。『太平記』が、楠木正成(まさしげ)を忠義の士として、南朝方と北朝方の歴史をあれほど叙情的な美しい名文で描いていなければ、後の歴史は違ったでしょう。明治維新は、私たちが知っている形にはならなかった公算が高いですし、南北朝いずれの皇統が正統かをめぐる南北朝正閏(せいじゅん)論を考えると、近代の歴史もまた違ったものになっていたかもしれません。
その後、歴史に影響を与えた主要な歴史家は三人しかいない、と私は思っています。一人は、約二百年前に『日本外史』を著した頼山陽(らいさんよう)です。彼はこの書によって、日本は本来天皇が治めていたもので、武家の世とは一種の借り物のようなものであることを当時の日本人に認識させました。それが尊王攘夷の気運をかき立て、明治維新を実現するという形で歴史を変えたことはご承知かと思います。
もう一人は、作家・ジャーナリストとして長く活躍した徳富蘇峰(とくとみ・そほう)です。蘇峰は『近世日本国民史』を書き、日本人の歴史観をはっきりと規定した人です。おそらく、国民国家日本の成り立ちの歴史を、豊富な史料を駆使して日本人に認識させたのが蘇峰であっただろうと思います。彼は熊本の出身で、藩の学校で学びました。面白いことに、日本近代を考えるうえで、この熊本出身者というのは非常に重要です。歴史観をつくった蘇峰のほかに、大日本帝国憲法の制定に大きく関わった井上毅(こわし)、また、その井上とともに教育の基本法にあたる教育勅語を起草した元田永孚(もとだ・ながざね)も熊本の人です。近代日本の思想、憲法、教育の三分野の根幹部分は、熊本藩の学校で学んだ人たちが主導したことになります。
そして頼山陽、徳富蘇峰に続く三人目の歴史家が、司馬さんということになります。あまり語られていませんが、蘇峰が司馬さんに及ぼした影響は決して小さくない、と私は思っています。小説家にとって、徳富蘇峰は歴史を描く際にたくさんの史料を引用するので、とてもありがたい存在です。司馬さんはその影響を受けながら、さらに多くの史料を収集して、蘇峰以後の、戦後日本人の歴史観をつくりました。
戦後日本の特徴を歴史的に語るならば、激しい経済成長をもたらした時代であり、いわゆる民主主義を伴った大衆社会を実現した時代でもあります。国民が文庫本を消費して、空前絶後の読書人口になりました。その後、映画やテレビなどの映像メディアが爆発的な発達をみせますが、戦後七十年を俯瞰(ふかん)しますと、人々が本と映画とテレビにすさまじい勢いでのめり込んだ時代だと思います。
司馬さんはその作品世界を大量の著書によって国民に供給してくれました。特に文庫という安価で入手容易な形をとって、その著作が日本家庭の書棚に入り込み、その叙述が映画やテレビ番組に翻案されていった点は重要です。日本人の多くは司馬作品を通じて日本の歴史に接し、その歴史観をつくったと言っても過言ではありません。もちろん学校教科書でも歴史を習うわけですが、教科書の歴史は無味乾燥で人物の細部があまり見えてきませんでした。歴史人物の生きざまを知りたがった人たちは、こぞって司馬作品を読み、あるいは観て、司馬さんの提供した歴史像でもって過去の日本を知るようになったのです。
■『NHK100分de名著 司馬遼太郎スペシャル』より
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司馬遼太郎さんは、作家であると同時に、歴史について調べ、深く考えるという意味においては歴史家でもありました。しかし、他の歴史家と、司馬さんは一線を画しています。司馬さんは、ただの歴史小説家ではありません。「歴史をつくる歴史叙述家」でした。非常に稀ではありますが、日本史上何人かこうした歴史家は存在します。歴史というのは、強い浸透力を持つ文章と内容で書かれると、読んだ人間を動かし、次の時代の歴史に影響を及ぼします。それをできる人が「歴史をつくる歴史家」なのです。
後世の歴史に影響を与えたと言っていい最初の歴史家は、もしかすると『太平記』の作者とされる小島法師かもしれません。『太平記』が、楠木正成(まさしげ)を忠義の士として、南朝方と北朝方の歴史をあれほど叙情的な美しい名文で描いていなければ、後の歴史は違ったでしょう。明治維新は、私たちが知っている形にはならなかった公算が高いですし、南北朝いずれの皇統が正統かをめぐる南北朝正閏(せいじゅん)論を考えると、近代の歴史もまた違ったものになっていたかもしれません。
その後、歴史に影響を与えた主要な歴史家は三人しかいない、と私は思っています。一人は、約二百年前に『日本外史』を著した頼山陽(らいさんよう)です。彼はこの書によって、日本は本来天皇が治めていたもので、武家の世とは一種の借り物のようなものであることを当時の日本人に認識させました。それが尊王攘夷の気運をかき立て、明治維新を実現するという形で歴史を変えたことはご承知かと思います。
もう一人は、作家・ジャーナリストとして長く活躍した徳富蘇峰(とくとみ・そほう)です。蘇峰は『近世日本国民史』を書き、日本人の歴史観をはっきりと規定した人です。おそらく、国民国家日本の成り立ちの歴史を、豊富な史料を駆使して日本人に認識させたのが蘇峰であっただろうと思います。彼は熊本の出身で、藩の学校で学びました。面白いことに、日本近代を考えるうえで、この熊本出身者というのは非常に重要です。歴史観をつくった蘇峰のほかに、大日本帝国憲法の制定に大きく関わった井上毅(こわし)、また、その井上とともに教育の基本法にあたる教育勅語を起草した元田永孚(もとだ・ながざね)も熊本の人です。近代日本の思想、憲法、教育の三分野の根幹部分は、熊本藩の学校で学んだ人たちが主導したことになります。
そして頼山陽、徳富蘇峰に続く三人目の歴史家が、司馬さんということになります。あまり語られていませんが、蘇峰が司馬さんに及ぼした影響は決して小さくない、と私は思っています。小説家にとって、徳富蘇峰は歴史を描く際にたくさんの史料を引用するので、とてもありがたい存在です。司馬さんはその影響を受けながら、さらに多くの史料を収集して、蘇峰以後の、戦後日本人の歴史観をつくりました。
戦後日本の特徴を歴史的に語るならば、激しい経済成長をもたらした時代であり、いわゆる民主主義を伴った大衆社会を実現した時代でもあります。国民が文庫本を消費して、空前絶後の読書人口になりました。その後、映画やテレビなどの映像メディアが爆発的な発達をみせますが、戦後七十年を俯瞰(ふかん)しますと、人々が本と映画とテレビにすさまじい勢いでのめり込んだ時代だと思います。
司馬さんはその作品世界を大量の著書によって国民に供給してくれました。特に文庫という安価で入手容易な形をとって、その著作が日本家庭の書棚に入り込み、その叙述が映画やテレビ番組に翻案されていった点は重要です。日本人の多くは司馬作品を通じて日本の歴史に接し、その歴史観をつくったと言っても過言ではありません。もちろん学校教科書でも歴史を習うわけですが、教科書の歴史は無味乾燥で人物の細部があまり見えてきませんでした。歴史人物の生きざまを知りたがった人たちは、こぞって司馬作品を読み、あるいは観て、司馬さんの提供した歴史像でもって過去の日本を知るようになったのです。
■『NHK100分de名著 司馬遼太郎スペシャル』より
- 『司馬遼太郎スペシャル 2016年3月 (NHK100分de名著)』
- 磯田 道史 / NHK出版 / 566円(税込)
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