共同体感覚とは何か

フロイトが主宰するセミナー(のちの「水曜心理学協会」「ウィーン精神分析協会」)に招かれ共同研究者となったアドラーだったが、次第に考えに隔たりがあることを知り、ついには決別にいたる。そこに第一次世界大戦が勃発。精神科医として従軍したアドラーは、傷ついた兵士の姿を目のあたりにし、人間は闘わないために何をすべきかを深く考えるようになる。そこで発見したのが「共同体感覚」であった。
哲学者・日本アドラー心理学会認定カウンセラーの岸見一郎(きしみ・いちろう)氏が、アドラーの著書『人生の意味の心理学』のメインテーマである「共同体感覚」について、同署からの引用をふまえて詳解する。

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われわれのまわりには他者がいる。そしてわれわれは他者と結びついて生きている。人間は、個人としては弱く限界があるので、一人では自分の目標を達成することはできない。もしも一人で生き、問題に一人で対処しようとすれば、滅びてしまうだろう。自分自身の生を続けることもできないし、人類の生も続けることはできないだろう。そこで、人は、弱さ、欠点、限界のために、いつも他者と結びついているのである。自分自身の幸福と人類の幸福のためにもっとも貢献するのは共同体感覚である。(第一章 人生の意味「人生の三つの課題」)
ここで「他者と結びついている」ということが、アドラーのいう「共同体感覚」の意味です。共同体感覚を表現するドイツ語はいくつかありますが、Mitmenschlichkeit(ミットメンシュリッヒカイト)がその一つです。これは人と人(Menschen〈メンシェン〉)が結びついて(mit〈ミット〉)いるという意味です。そして、このMitmenschen(ミットメンシェン)が、アドラーがいう「仲間」という言葉の原語なのです。すでに見たように、他者を仲間と見ている人は、その仲間である他者に貢献し、貢献感を持つことで自分に価値があると思えれば、対人関係に入っていく勇気を持つことができます。生きる喜びや幸福は他者との関係からしか得ることはできません。アドラーは以上のことを「自分自身の幸福と人類の幸福のためにもっとも貢献するのは共同体感覚である」と説明しています。
しかし、すべての人間がそのように思って生きているわけではありません。共同体感覚が欠如しているからこそ、人を蹴落としてでも出世したいと考えたり、自分をことさらに大きく見せようとしたり、あるいは他者を支配しようと考えてしまうのです。戦争をはじめとするこの世の争いごとすべてが、共同体感覚の欠如によって引き起こされているといっても過言ではありません。他者を仲間だと考える人は、そのような他者と競争せずに協力し、力を使って問題を安直に解決するのではなく、言葉を尽くして解決しようとするでしょう。国家間の関係についていえば、何か問題が起こっても、戦争するのではなく、外交によって解決することを試みるでしょう。アドラーは、共同体感覚の欠如した人がもつ誤った考え方について、次のようにいっています。
彼〔女〕らが人生に与える意味は、私的な意味である。つまり、自分が行ったことから益を受けるのは自分だけである、と考え、関心は自分にだけ向けられているのである。彼〔女〕らの成功の目標は単なる虚構の個人的な優越性であり、勝利は自分自身に対してしか意味を持っていない。(第一章 人生の意味「共同体感覚」)
ここでいう「人生に与える意味」とは「人生の意味づけ」のことです。共同体感覚が欠如している人は、人生に「私的な意味づけ」を行い、自分にだけしか関心を向けず、自分の得になることだけを目的として生きています。しかし、人間は一人では生きることはできず、必ず他者と共生しなければならないので、関心は他者にも向けられていなければなりません。優越コンプレックスのある人も、そしてその裏返しの劣等コンプレックスのある人も、共に彼らの目指す優越性は、「個人的」なものであって、それが他者に貢献するかどうかということは問題になりません。彼らの優越性の追求は競争が前提なので、「勝利」は自分自身に対してしか意味を持たないのです。
■『NHK100分de名著 アドラー 人生の意味の心理学』より

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