諸国行脚の乞食旅で見つけたもの

禅宗における本当の悟りとは、世俗の中に身を置いて人々の汚れた生活に寄り添い、命の根底から「脱落・徹底」することで初めて得られると考えられている。世間に紛れて人間修行することを禅宗では「聖胎長養(しょうたいちょうよう)」あるいは「悟り後の修行」と呼ぶ。
良寛は33歳のときに、円通寺の国仙和尚から修行を成就したと認められ、「印可(いんか)の偈(げ)」(詩)と杖を授けられた。その翌年から約5年間の諸国行脚の乞食(こつじき)旅に出るが、龍宝寺住職の中野東禅(なかの・とうぜん)氏は、この期間こそが良寛にとっての「聖胎長養」であったと言う。良寛の諸国行脚中の生活はどのようなものであったのだろうか。

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諸国行脚中の資料はほとんど残っていないため、良寛がどこでどんな生活を送っていたのかははっきりしません。ただ、研究者の間では、土佐にもいたのではないかという説が語られています。その根拠は、備中玉島出身の国学者・近藤万丈の著書『寝覚の友』です。そこには、万丈が二十三歳の頃に土佐に旅したときのこととして、次のような内容が書かれているのです。
高知の城下から三里ほど手前を歩いているとき、突然雨に降られた。粗末な小屋に雨宿りのために駆け込むと、青白く痩せこけた僧が囲炉裏の前に座っていた。「雨宿りのために泊めてほしい」と頼むと、その僧は「食べ物も寝具もないが……」と言ったが、「雨さえしのげれば何もいりません」と無理を言って泊めてもらった。その夜、僧はほとんどしゃべることがなく、何か話しかけても静かに微笑むだけだった。
翌朝、僧は香煎(こうせん/煎った麦の粉を湯で溶いたもの)を作って食べさせてくれた。食べ終えてふと机の上に目をやると、そこには『荘子』が置かれていて、本を開いてみると達筆の書が挟み込まれていた。あまりの書の素晴らしさに「この人はただ者ではない」と感じて、二本の扇子を指し出して賛を頼んだところ、僧は鶯と、富士の絵を描いてくれた。絵の端を見ると「かく言うものは誰ぞ、越州の産・了(ママ)寛」と記されていた。

■自分を見つめる旅で何かが変わった

円通寺時代にも良寛は詩や歌を書いていますが、諸国行脚以降、その数は増えていきます。さらに仏道との対話から、自己との対話、道中の自然との対話まで、内容もぐっと深みを増していきます。なぜ、旅に出てからの良寛は、味わい深い詩歌を数多く作るようになったのでしょうか。
まず考えられるのは、孤独な旅を続けていくうちに、外に向かっていた視点が、どんどん自分の内面へと向かっていったからではないでしょうか。また、何も持たない乞食旅を続けていると、おのずとそれまでとは違った視点でものごとを見るようになります。それが作品に深みを与えることになったとも考えられます。
じつは私も、若い頃に二度ほど乞食行脚を体験したことがあるので、行脚中の良寛の気持ちがなんとなくわかります。裸一貫の旅は辛くて寂しいものです。泊まるところのあてもなく、うつむいて歩いていると、雨の日などは体の芯まで冷えきってしまいます。そのうちに、どこをどう歩いているのかさえもわからなくなり、無性に気持ちが滅入ってくるのです。
しかし、「明日は飯を食べられるだろうか。泊まる場所はあるのだろうか」と不安を感じるのは最初のうちだけで、一度落ちるところまで落ちてしまうと、もう怖いものはなにもなくなります。社会のルールも世間体も、すべてのことがどうでもよくなってくるのです。「乞食は三日やったら辞められない」とよく言われますが、それは事実かもしれません。社会から完全に逸脱した存在になってしまうと、不思議と気持ちが解放されて、楽になってくるのです。
ふだん、私たちは毎日決まった時刻に起きて、なんらかのルールに従って生きるのが当たり前と思っているのですが、一度そこから外れてみると、ルールに従うのがばかばかしく思えてきます。また、そうした「どん底」の立ち位置から、人間や自然、自分を眺めてみると、明らかにそれまでとは違ったものが見えてきます。
良寛も、そんな心境に至ったのではないでしょうか。乞食暮らしを続けるうちに、「僧侶はかくあるべし」という理想や、「自分がこれからどこへ行って何をすべきか」といったこだわりが、全部どうでもよくなっていったのではないか──と私には思えるのです。
作品にもそれは如実に表れています。円通寺時代の詩や歌は、古い禅宗のお坊さんたちと同じような表現を使って、なるべく既存のルールやリズムを崩さないように書かれていますが、旅に出てからは、ルールから逸脱し、自由に表現の世界に遊ぶようになっていきます。そう考えていくと、五年間の乞食旅は良寛にとっては決して長すぎるものではなく、「本当の自分、ごまかしようのない自己」を見つけるためには、どうしても必要な時間だったことがわかります。
■『NHK100分de名著 良寛詩歌集』より

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