イチローと囲碁の関係
テキスト『NHK囲碁講座』では、元参議院議員の藁科満治(わらしな・みつはる)さんが綴る「囲碁文化の歴史をたどる」が好評連載中です。12月号では、MLBのイチロー選手と囲碁の関係について、参考文献を紹介しながら紐解きます。
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イチローは今でこそ、年齢や体力の衰えから控えに回ることがありますが、長らく大リーグを代表するトッププレーヤーとして活躍したことは誰もが知っています。特に、10年連続して200本以上の安打を打ち、しかもその間、打率3割以上をキープし、加えて年間262本の最多安打を記録した偉業は、メジャー・リーグの不滅の記録として、歴史的にも太い活字でさん然と刻まれることでしょう。併せて、達成した盗塁数、守備範囲の広さと返球の速さ・正確性などオールラウンド・プレーヤーとしての輝きも群を抜いています。さらに、インタビューなどに答えるイチローの言葉と姿勢は、人々を引き付ける魅力と説得力を持っています。
一体、イチローがこれだけの成績を残したエネルギーと人間的な魅力の源泉はどこにあるのでしょうか。もちろん、強じんな肉体と優れた野球センスは欠かせませんが、それに加えて並外れた集中力と洞察力を身に付けていたからだと思われます。そして、その源泉を探っていくと「イチローと囲碁の関係」につながりがあるように思えるのは私だけでしょうか。
イチローの趣味は「盆栽と金魚と囲碁」(あるТV番組の紹介)だそうです。名古屋市郊外のイチローの実家に隣接する「イチロー展示ルーム」には、バット、グローブ、トロフィーなど、子どものころからの野球に絡むメモリアル・グッズに混じって、愛用の碁盤が置いてあります。小学生時代、イチロー少年は父親からの勧めもあって「学校では囲碁部に所属し、地元の囲碁教室に通っていたほどの囲碁ファンで、自宅では父親とよく対局していた」と報じられています。「囲碁の効用」に関する書籍には、必ず「集中力、洞察力、大局観」が指摘されていますが、イチローの野球での集中力と洞察力は、子どものころからの囲碁を通じた訓練と経験が大きく寄与していると思われます。
イチローに関する書籍は20冊以上ありますが、その中で記されているイチローの野球に対する基本理念、それを支える哲学、心構えは、単にスポーツの技術論としてだけでなく、人生論、生き方論としても価値ある内容ですので、ここにいくつかを紹介します。
■『「イチローの成功習慣」に学ぶ』
スポーツ心理学者の児玉光雄氏は、イチローの言葉を引用して次のように述べています。
「スランプのように見える絶好調もあれば絶好調のように見えるスランプもある」「練習は裏切らないと言いますが、練習が裏切ることもある」(中略)そうした言葉の多くが物事の本質をえぐっており、技術論がそのまま人生論や生き方論にも通じていくような深みを持っています。
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■『一流の集中力』
愛知工業大学名電(愛工大名電)高校野球部時代にメンタル面でイチローを指導した豊田氏は、その経験を通じて次のように語っています。
高校時代の鈴木一朗選手は、フィジカルな部分において必ずしも飛び抜けた存在ではありませんでした。(中略)彼が他の選手より際立って優れていた資質、それは“心の技術”だったのです。わかりやすく言えば、自己分析能力と自己管理能力に優れているということです。
■『イチローは「脳」をどう鍛えたか』
名古屋市立大学名誉教授の西野氏は、第80回大リーグオールスターゲーム前のオバマ大統領とイチローの劇的な会話を紹介しながら、イチローの偉大さを次のように語っています。
試合前はボールにサインしてもらい、大統領から「君の大ファンだ。なんでそんなに肩が強いのか」と、声をかけられたそうです。
「僕の名前を知っていただいていたことに驚き、感動した。生涯記憶に残るでしょうね」
しかし、イチローは歴史的な始球式を、直接見ていません。シーズン中と同じように、クラブハウスで体を動かし、第1打席に向かう準備をしていたのです。
さらに、イチローに対する評価と分析にあたって参考になるものとしては、2010年のノーベル化学賞を受賞した根岸英一教授の「イチロー選手に共感〜単打積み重ねの成果」というコメントがあります。価値ある示唆として注目に値します。要約して紹介します。
イチローは、自分が持つ能力を冷静に分析して、自分のやり方を追求しています。同じことを繰り返すのは実は難しいことですが、同じようにヒットを打ち続ける能力があります。本当はホームランも打てるのでしょうけれど、彼の結論は「ヒットが打てればいい」なのです。そのあたり私たちの化学分野の研究活動と共通点があります。
いずれにしても、この世界的な超一流「アスリート・イチロー」を生み出した源泉にあるものとして、子ども時代に体験した囲碁から学んだ「集中力」、「洞察力」、「相手を読む力」などの蓄積が大いに寄与しているものと思われます。そしてさらに言えば、ここで紹介したイチローの野球に向けた基本的な理念と姿勢は、「囲碁の効用と特長」の最も基本的でありその核心とも言うべき「自分で考え、自分で行動し、その結果については自分が責任を持つ」というものに相通ずるものがあるように思います。
■『NHK囲碁講座』2015年12月号より
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イチローは今でこそ、年齢や体力の衰えから控えに回ることがありますが、長らく大リーグを代表するトッププレーヤーとして活躍したことは誰もが知っています。特に、10年連続して200本以上の安打を打ち、しかもその間、打率3割以上をキープし、加えて年間262本の最多安打を記録した偉業は、メジャー・リーグの不滅の記録として、歴史的にも太い活字でさん然と刻まれることでしょう。併せて、達成した盗塁数、守備範囲の広さと返球の速さ・正確性などオールラウンド・プレーヤーとしての輝きも群を抜いています。さらに、インタビューなどに答えるイチローの言葉と姿勢は、人々を引き付ける魅力と説得力を持っています。
一体、イチローがこれだけの成績を残したエネルギーと人間的な魅力の源泉はどこにあるのでしょうか。もちろん、強じんな肉体と優れた野球センスは欠かせませんが、それに加えて並外れた集中力と洞察力を身に付けていたからだと思われます。そして、その源泉を探っていくと「イチローと囲碁の関係」につながりがあるように思えるのは私だけでしょうか。
イチローの趣味は「盆栽と金魚と囲碁」(あるТV番組の紹介)だそうです。名古屋市郊外のイチローの実家に隣接する「イチロー展示ルーム」には、バット、グローブ、トロフィーなど、子どものころからの野球に絡むメモリアル・グッズに混じって、愛用の碁盤が置いてあります。小学生時代、イチロー少年は父親からの勧めもあって「学校では囲碁部に所属し、地元の囲碁教室に通っていたほどの囲碁ファンで、自宅では父親とよく対局していた」と報じられています。「囲碁の効用」に関する書籍には、必ず「集中力、洞察力、大局観」が指摘されていますが、イチローの野球での集中力と洞察力は、子どものころからの囲碁を通じた訓練と経験が大きく寄与していると思われます。
イチローに関する書籍は20冊以上ありますが、その中で記されているイチローの野球に対する基本理念、それを支える哲学、心構えは、単にスポーツの技術論としてだけでなく、人生論、生き方論としても価値ある内容ですので、ここにいくつかを紹介します。
■『「イチローの成功習慣」に学ぶ』
児玉光雄著(サンマーク出版 2010年)
スポーツ心理学者の児玉光雄氏は、イチローの言葉を引用して次のように述べています。
「スランプのように見える絶好調もあれば絶好調のように見えるスランプもある」「練習は裏切らないと言いますが、練習が裏切ることもある」(中略)そうした言葉の多くが物事の本質をえぐっており、技術論がそのまま人生論や生き方論にも通じていくような深みを持っています。
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■『一流の集中力』
豊田一成著(ソフトバンク新書 2011年)
愛知工業大学名電(愛工大名電)高校野球部時代にメンタル面でイチローを指導した豊田氏は、その経験を通じて次のように語っています。
高校時代の鈴木一朗選手は、フィジカルな部分において必ずしも飛び抜けた存在ではありませんでした。(中略)彼が他の選手より際立って優れていた資質、それは“心の技術”だったのです。わかりやすく言えば、自己分析能力と自己管理能力に優れているということです。
■『イチローは「脳」をどう鍛えたか』
西野仁雄著(経済界新書 2011年)
名古屋市立大学名誉教授の西野氏は、第80回大リーグオールスターゲーム前のオバマ大統領とイチローの劇的な会話を紹介しながら、イチローの偉大さを次のように語っています。
試合前はボールにサインしてもらい、大統領から「君の大ファンだ。なんでそんなに肩が強いのか」と、声をかけられたそうです。
「僕の名前を知っていただいていたことに驚き、感動した。生涯記憶に残るでしょうね」
しかし、イチローは歴史的な始球式を、直接見ていません。シーズン中と同じように、クラブハウスで体を動かし、第1打席に向かう準備をしていたのです。
さらに、イチローに対する評価と分析にあたって参考になるものとしては、2010年のノーベル化学賞を受賞した根岸英一教授の「イチロー選手に共感〜単打積み重ねの成果」というコメントがあります。価値ある示唆として注目に値します。要約して紹介します。
イチローは、自分が持つ能力を冷静に分析して、自分のやり方を追求しています。同じことを繰り返すのは実は難しいことですが、同じようにヒットを打ち続ける能力があります。本当はホームランも打てるのでしょうけれど、彼の結論は「ヒットが打てればいい」なのです。そのあたり私たちの化学分野の研究活動と共通点があります。
いずれにしても、この世界的な超一流「アスリート・イチロー」を生み出した源泉にあるものとして、子ども時代に体験した囲碁から学んだ「集中力」、「洞察力」、「相手を読む力」などの蓄積が大いに寄与しているものと思われます。そしてさらに言えば、ここで紹介したイチローの野球に向けた基本的な理念と姿勢は、「囲碁の効用と特長」の最も基本的でありその核心とも言うべき「自分で考え、自分で行動し、その結果については自分が責任を持つ」というものに相通ずるものがあるように思います。
■『NHK囲碁講座』2015年12月号より
- 『NHKテキスト 囲碁講座 2015年 12 月号 [雑誌]』
- NHK出版 / 545円(税込)
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