サルトル、その型破りな肖像

「僕たちの恋は必然的なものだ。でも偶然的な恋も知る必要があるさ」──フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルが、一学年下の恋人シモーヌ・ド・ボーヴォワールに語ったという言葉だ。そんな彼の人となりをフランス文学者の海老坂 武(えびさか・たけし)氏にうかがった。

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言葉人間、書物人間であることはすでに記しましたが、出会ったばかりのサルトルについてボーヴォワールは「一日中でも徹底的にものを考えていられる人」と書いています。じっさいサルトルの作品を開くと、どのページからも生きることが考えることであった人間の巨大な営みが感じられます。しかし、そのサルトルが遊び好きであり、ドン・ファンであったと知ると、どこにそんな時間があったのだろうと不思議な気がします。眠る時間を徹底的に削っていたのでしょうか。
遊びの中には、街歩きがありました。学生時代は高等師範の仲間、とりわけポール・ニザンと二人して、教師時代は学生を引き連れて、そして生涯をとおしてボーヴォワールとともに街を歩き回り、都会の〈不可思議(メルヴェイユ)〉を発見することに喜びを覚えている。この点ではシュールレアリストたちと趣味を共にしています。ただそれはあくまでも都会の街歩きであって、田舎ではない。田園でのんびりしているサルトルの姿は想像できません。なにしろ彼は緑アレルギー、反自然の人なのです。こうした街歩きからは『糧』のような素晴らしいエセーが生まれることになります(増補新装版『実存主義とは何か』所収)。
反自然の性向は食べ物にも現れています。野菜が嫌い、果物が嫌い、生(なま)のものがだめ。フランス人の好きな牡蠣(かき)も口にしない。日本に招かれてきたときは、出された刺身や貝類を無理をして食べたのでしょう、ホテルに帰ってからこの『嘔吐』の著者が人生でなんと初めて(!)「吐き気」を覚え、実際に吐いたことが、ボーヴォワールの回想録『決算のとき』の中に恨みっぽく書かれています。サルトルはまったくの肉食人間で、アルザスがルーツということもあるのですが、ソーセージ、豚肉が好みだったとのこと。そして意外なことにケーキが好きで、よく通ったサン・ジェルマン・デ・プレにある老舗(しにせ)のレストラン「リップ」では、必ず大きなチョコレートケーキを注文したとのことです。
物を持つことが嫌いで、生涯アパルトマンも家も持たず、若いうちは安ホテル住まい、お金ができてからはアパルトマンを借りている。それも実に質素で、私が訪れたラスパーユ通りのアパルトマンもモンパルナスのアパルトマンも2DK。もちろん寝室は見ませんでしたが、書斎となっている部屋は30平米ぐらいで、お祖母(ばあ)さん譲りのソファーとテーブル、仕事机、そして本棚、誰の作品かは確かめられませんでしたが二点ほど絵がかかっているだけでした。本の量もわずか、読み終わるとみな人にあげてしまうのだそうです。アパルトマンは常に建物の最上階だということも大事です。彼は高いところが大好きなのです。
お金は、といえば、世界的な流行作家となったサルトルですから相当な額を手にしたはずです。しかし晩年は常にお金に困っていて、出版社であるガリマール書店から前借りの形で毎月お金を受けとっていた。何に使ったのか。もともと彼は学生時代からお祖母さんの遺産が入ったり、家庭教師をしたりして経済的に裕福な〈お大尽(だいじん)〉だった。お金があると友だちにおごったり、あげたり、持っているお金を片端から使って「気前のいい人」という評判が立っていたとのこと。作家として本が売れ出してからはこの気前の良さが並のものではなくなり、秘書を雇い、愛人たちや政治亡命者たちに毎月巨額のお金を渡している。レストランやカフェでも人が驚くほどのチップを与えている。すべて現金ばらいなので財布にはいつもたくさんのお金が押し込まれていたそうです。
サルトルは音楽好きで自分でもかなりあとまでピアノを弾いています。子供のときにレッスンを受け、ラ・ロシェルにいた中学時代には母親と一緒に連弾曲を弾いたりしている。高等師範時代にはピアノの先生もしていたのでかなりの腕だったのでしょうか。好きな作曲家は、ベートーヴェン、ショパン、シューマン、バルトークなどをあげていますが、シューベルトは嫌いだそうです。
■『NHK100分de名著 サルトル 実存主義とは何か』より

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サルトル『実存主義とは何か』 2015年11月 (100分 de 名著)
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