木谷道場で修行していた内弟子たちのマドンナ・小林禮子七段

イラスト:石井里果
『NHK 囲碁講座』の連載「二十五世本因坊治勲のちょっといい碁の話」。師匠・木谷實九段、呉清源九段の思い出から、石田章九段へのジェラシー、王立誠九段に対する恨み言まで、趙治勲(ちょう・ちくん)二十五世本因坊ならではの語り口で紡がれるエッセイは、碁界においてのみならず、広く人気を博しています。10月号では、師匠である木谷實九段のご息女で、平成8年に亡くなった小林禮子(こばやし・れいこ)七段との思い出を綴ります。

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しばらく木谷(實九段)門下のお話が続きました。思い出はたくさんありますが、今回はどうしてもとの思いが強い小林禮子(七段・平成8年没)さんのお話です。
禮子さんは師匠の木谷先生の娘さん。ぼくよりもかなり年上でね。お母さんのようなイメージでした。料理がとても上手だったというのを強烈に覚えています。
父、木谷實がすべて。禮子さんはそんな雰囲気を醸し出している人でした。だからでしょうね、尊敬する父親が育てている弟子のことも、何て言うのかなあ、尊重してくれたというか、大切にしてくれたというか。そういうのは確実に伝わってくるものですよね。ぼくら内弟子たちも禮子さんには、言葉を選ぶのが難しいんだけど、すべてを預けられたというか…。まあ、簡単に言ってしまえば、禮子さんは内弟子たちの憧れの的。マドンナだったなあ。
師匠夫妻としては、「弟子の中から跡取りを」という考えは当然あったと思う。ただ、当時の内弟子たちはみんな禮子さんより年下だった。大竹英雄(名誉碁聖)先生は独立していて、年が近いところでは加藤正夫(名誉王座)さんと石田芳夫(二十四世本因坊秀芳)さん。いろんな話を総合するとね、加藤さんが第一候補だったみたい。純朴だし、真面目だし、努力家だし。石田さんは当欄でも告発したように、ちゃらんぽらんでいいかげん(笑)。でも、運命とは分からないねえ。禮子さんと結ばれたのは13歳下の小林光一(名誉三冠)さんでした。
光一さんは禮子さんと一緒になる前後のことをあまり語りません。つらかったとは聞きましたけどね。ぼくの想像ではもう針のむしろ? 地獄のような日々が続いたと思う。光一さんが強かったら誰も文句は言わないけれど、当時はまだまだ弱かった。加藤さんには太刀打ちできなかったしね。年齢差も大きなハードル。誰も賛成してくれなかったんじゃないかなあ。
多くの反対を振り切って決断した禮子さんは、「光一さんは将来、必ず天下人になる」と信じていたと思う。ぽっと出の新人俳優が大女優と恋に落ちたようなもの。そうそう、石原裕次郎さんと北原三枝さんと同じだよ。それの碁界版。いやいや、これは撤回します。光一さんが裕次郎さんと同じというのはたいへん悔しいので(笑)。
光一さんは初めて大きなタイトルを取ったとき、碁盤の前で涙を流しました。うれしさだけじゃなくいろいろな想いが複雑に絡み合って、訳が分からないうちに涙がこぼれたと思う。禮子さんも涙を流したんだろうなあ。お母様(木谷夫人・美春)に、「私が正しかったでしょう」と、ようやく言えたと思う。
木谷禮子として生きてきてある日を境に小林禮子になった。名字だけでなく人生観も含めてすべてを変えた。海のものとも山のものとも分からない光一さんを愛するために。年齢差もあった。どんな思いだったか。つらさ、悲しさを背負い込む決心ができたのはやっぱり光一さんへの思いが強かったからでしょう。こんな純粋な愛は見たことも聞いたこともありません。究極の愛というのかな。一人の男を、女性はこんなにも愛せるものなんでしょうかね。
何年か前に、光一さんの還暦と名誉三冠(名誉棋聖、名誉名人、名誉碁聖)のお祝いがありました。あの席に禮子さんがいたら、どんなふうに喜びを表したのかなあ。
そんな遺伝子を受け継いだのが泉美(六段)さん。結婚前は父、小林光一の碁とそっくりだったのに、結婚したら全部が全部、夫、張栩(九段)の碁になっちゃった。実は張栩、泉美夫妻には言いたいことがあるんだなあ。それは来月号で。
■『NHK囲碁講座』2015年10月号より

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