19歳が歌に詠んだ心と身体の乖離

『NHK短歌』の連載「こころ・ことば・からだ」では、「まひる野」同人の染野太朗さんが短歌にじっくりと向きあい、心と言葉と身体の関係に焦点を当てて解説をしています。

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恐るべきもの触るるごと撫でてみつ十九歳のわれの手脚を

村木道彦『天唇』


恐ろしいものに触れるような感覚で、自分の手脚を撫でてみる。なぜ「恐るべき」という気持ちになるのか、直接の原因はわかりません。けれどもとにかくこの人は、自分の身体を、自分のものとは違うもののように感じているようです。
「離人感(りじんかん)」という言葉があります。心の病やその感覚、状態を説明する言葉の一つです。自分の感覚や行動に現実感が伴っていない、自分が自分ではないような気がする、というような感じを指すそうです。この歌の表現するところは、その「離人感」に近いのかもしれません。いずれにせよ、僕はこの一首に「心と身体の乖離(かいり)」ということを感じるのです。
心と身体がそれぞれ独立して存在しているはずがありません。これまでにも確認してきたように、心と身体は、言葉と絡み合いながら相互に影響し合っているはずです。でも「〈今、ここ〉を離れられない」という身体の性質と、「たやすく時空を超えてしまう」という心の性質は、一見すると真逆のものです。だとすればこの一首のような乖離は、異常なものではなく、誰にでも起こり得ることのようにも思えます。先月も見たとおり、心が勝手に時空を飛び越え、制御不能になることはあるわけですから。そう言えばこの歌の登場人物は十九歳。十代後半と言えば、頭でっかちになりがちな、心ばかりが肥大してしまうような時期でもありますよね。この一首は、いろいろなことを頭だけで観念的に思考し続けた結果、ふと気づくと身体の存在を忘れてしまっていた、という歌なのかもしれません。
■『NHK短歌』2015年10月号より

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