『斜陽』で描かれる恋と革命──太宰治が「革命」に抱いていた思いとは

太宰治の『斜陽』の主人公・かず子は敗戦後に没落貴族となり、それまで無縁だった畑仕事や力仕事をせざるを得ない状況に追い込まれる。この境遇の変化は、かず子を他人の言いなりだった「人形」から、自分のことを自分で決める「人間」へと変えていった。既婚の作家・上原に恋をし、「あなたの赤ちゃんを生みたいのです」と熱烈なラヴレターを送る。彼女が身を投じた恋自らが歩む人生を手ずから切り開いていったかず子。それはまさに「革命」だった。当時の太宰が「革命」に抱いていた思いについて、作家で明治学院大学教授の高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)氏が解説する。

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かず子も上原も、社会や世間というものが、いかに嘘っぱちであるかに気づいていた。社会や世間がいかにずるがしこく、人びとを支配しているかを。そんな、社会や世間に気づきながら、たいていの人たちが、反抗することもできず、諦めて生きているかを。
だから、かず子は、「同志」として、上原にラヴレターを送ったんだ。届かぬ返事を待ちながら、かず子は、こんなことを考える。
革命を、あこがれた事も無かったし、恋さえ、知らなかった。いままで世間のおとなたちは、この革命と恋の二つを、最も愚かしく、いまわしいものとして私たちに教え、戦争の前も、戦争中も、私たちはそのとおりに思い込んでいたのだが、敗戦後、私たちは世間のおとなを信頼しなくなって、何でもあのひとたちの言う事の反対のほうに本当の生きる道があるような気がして来て、革命も恋も、実はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりいい事だから、おとなのひとたちは意地わるく私たちに青い葡萄(ぶどう)だと嘘ついて教えていたのに違いないと思うようになったのだ。私は確信したい。人間は恋と革命のために生れて来たのだ。
戦争が終わり、新しい時代が来た。「革命」が起こる、と期待する声もあった。けれども、「革命」は起こらなかった。
「革命」とは、とりあえずは、社会主義(あるいは共産主義)革命のことだった。若い頃、非合法の社会主義(あるいは共産主義)運動にも参加した太宰の心のどこかに、青年時代の夢が甦ったこともあったかもしれない。けれども、そんな「革命」は起こらなかった。いや、ただ起こらなかっただけじゃない。そんな「革命」を起こそうとしていた人たちが唱える「革命」は、太宰には、なんだかものすごく古くさいものに思えた。
なぜなら、その「社会主義(あるいは共産主義)」の「革命」が訴えたのは、政権を変えること、法律を変えること、政治のやり方を変えること、社会のシステムを変えること、だったからだ。そんなものが「革命」と呼べるんだろうか。なにもかも変わること。それが「革命」だ。そして、そのためには、まずなにより、「人間」が変わる必要があったんだ。
「革命」は起こらなかった。そればかりか、戦争中に活躍していた人たちが戻ってきた。かつては「天皇陛下万歳」といっていた人たちが、今度は「民主主義万歳」というようになった。人は同じ。口にすることばが変わっただけだった。要するに、ほとんど何も変わらなかったんだ。
この頃、太宰治は「かくめい」という短い文章を書いている。
じぶんで、したことは、そのように、はっきり言わなければ、かくめいも何も、おこなわれません。じぶんで、そうしても、他のおこないをしたく思って、にんげんは、こうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、にんげんの底からの革命が、いつまでも、できないのです。
異様な文章だと思う。なぜなら、「革命」ということばとひらがなの「かくめい」が混在しているからだ。いや、「にんげん」も「おこない」も、みんな、ひらがなになっている。誰よりもことばに敏感であった太宰が、適当にことばを選ぶわけはない。太宰は、「人間」や「革命」という漢字がイヤだったんだ。それは、みんなが、「人間」や「革命」という漢字で表しているものが、ものすごく表面的で、真剣に考えられたものじゃない、と太宰が感じていたからだ。みんながいう「人間」ではなく、一から生まれ変わった「にんげん」。みんながいう、ただ社会のシステムが変わるだけの「革命」ではなく、「にんげんの底」から変わる「かくめい」。それが太宰の願いだった。いや、希望だった。
この文章を読み、それからもう一度、かず子の「人間は恋と革命のために生れて来たのだ」を読むと、この文章の奥底に流れているものを、ぼくたちは感じることができるはずだ。
かず子は「人間」に、いや「にんげん」になろうとしていた。かず子がいいたかったのは、「にんげんはこいとかくめいのためにうまれてきたのだ」ということだったんだ。
■『NHK100分de名著 太宰治 斜陽』より

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