目が点になる高浜虚子の一句

『NHK俳句』に連載中の講座「びっくりして嬉(うれ)しくなる俳句」では、俳人の池田澄子(いけだ・すみこ)さんが、読んでみてハッとするような驚きの発見がある俳句を紹介しています。8月号では、夏の花と思われがちな秋の花「朝顔」を詠んだ句を取り上げます。

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八月、と言えば、普通の人の感覚では夏でしょう。「夏休み」というものもあるので夏と感じてしまいます。まぁ八月は八月であって、それ以外のなにものでもないわけですが。
八月に入ったら間もなく立秋。その後の暑さは残暑(ざんしょ)だなんて、なかなかお洒落(しゃれ)です。朝顔も、普通には夏の花だと思われているでしょう。私も、当然それは夏の花だと思うともなく思っていました。朝顔が秋の花であることは、恥ずかしながら俳句に興味を持ってから歳時記で知って驚きました。
ところが、そう知ってから気付いたのです。朝顔は秋になると本当に美しいのでした。私は夜更かしの朝寝坊だから朝顔を愉(たの)しむのは無理、と決め付けていましたのに、秋の深むにつれて、朝顔は色濃く美しくなることに気付きました。十月を過ぎた頃には、夕方までぴーんと咲いていることに、遅まきながら気付いて、あぁ本当に秋の花なのだと感激してしまいました。
朝顔にえーツ屑屋(くずや)でございかな

高浜虚子(たかはま・きょし)


私はびっくりすることが好きです。誰かの俳句の、どこかにびっくりするたびに俳句が一層(いっそう)好きになります。
虚子の俳句には、度々(たびたび)びっくりしてきました。〈遠山に日の当りたる枯野かな〉などの端正な俳句を詠(よ)みながら、時々、とても思い付くことが出来ないような、見つけられないような細部や、視線の角度や、普通には思い付かない言葉遣いをなさるのです。この句、目が点になるという言い方にぴったりでした。
五七五の最後を「かな」で終わる俳句はいくらでもあります。しかしどうでしょう。名詞に「かな」を付けて最後を締める場合が多いでしょう。ところがこの句の「かな」は、「えーツ屑屋でござい」という呼び声に対して付けられているのです。虚子先生は、なんてお茶目なんでしょう。私は嬉しくてたまりません。
朝顔の花うつくしく妻老いし

京極杞陽(きょうごく・きよう)


京極杞陽もとても自由な新しい感覚の俳句をたくさん残してくださいました。朝顔は「美しく」、妻は「老いし」ですって。昔の殿方はまったくもう。〈闇汁(やみじる)に古女房が入れしもの〉なんていう句もあります。でも、ご自分のことも〈息白くいささか年を取りながら〉などという句もあるので許してさしあげましょう。
あら? 〈朝顔の花+うつくしく妻老いし〉とも読めますね。わざと中七(なかしち)のところで照れ隠しなさったのかもしれません。
ともかくも、加齢が、朝顔をゆったりと眺(なが)めさせているのでしょう。朝顔は慌(あわただ)しく見て褒(ほ)める花ではなさそうです。
■『NHK俳句』2015年8月号より

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