村川大介王座にとっての井山裕太という存在

撮影:小松士郎
昨年末の王座戦挑戦手合にて、井山裕太王座から3勝2敗でタイトルを奪取──初のビッグタイトルを獲得した村川大介新王座。11歳10か月という関西棋院の最年少入段記録を打ち立て、鳴り物入りでプロの世界に飛び込んだのであったが、これまでは1歳上である井山の存在があまりに大きかったため、その後ろに隠れがちの存在であった。
しかし今回の王座奪取によって「井山に次ぐ関西の二番手」という位置づけにも変化が表れるかもしれない。井山との関係を中心に、これまでの棋士生活を振り返ってもらった。

* * *

井山さんとの出会いは、僕が小学校2年生のときでした。
大阪で子供大会があり、井山さんも参加されていたのです。井山さんは2年生、3年生と全国大会で優勝していて、当時すでにすごい有名人でした。それでちょうど井山さんの手が空いているときに、僕が「一局教えていただけませんか」とお願いして、練習対局を打っていただいたのです。実はこのこと、僕ははっきり覚えていなくて、のちに父からそういうことがあったのだと聞きました。
ちなみにこのときの手合割は四子。僕が「何子置けばいいですか?」と聞いたら四子くらいでと言われたのです。時間がなく打ち掛けとなり、内容もはっきり記憶していないのですが、1つしか年の違わない人に四子も置いたのがすごく衝撃的だったことは覚えています。
それからしばらくは特に親しくということもなかったのですが、僕がプロになって14歳か15歳くらいのとき、中野杯のベスト8が中国に遠征するという企画がありました。このときに皆で東京に集合してから中国に行くということで、井山さんが「一緒に東京まで行きませんか」と連絡をくれたのです。それで新幹線の中で話したりとか、中国にいるうちに、少しずつ仲よくなっていったという感じです。
そしてこのあとくらいから、井山さんに「一緒に勉強しよう」と誘ってもらえるようになって、二人で勉強することが多くなりました。
このころの井山さんといえば、16歳で一般棋戦を優勝したのですが、これにはびっくりしました。「やっぱりすごいな」と…。と同時に、自分が置いていかれることに納得できないというか、嫉妬心のようなものが生まれてきた時期でもありました。
1つ年上なので「年の差もあって今は負けているけど、自分も一年後には今の井山さんくらいの成績を残せればいい」と考えていたのですが、その一年後になってみると、さらに差が開いている──自分も強くなっているという思いはあったのですけど、井山さんはそれ以上に活躍されていたので、気が付けば実績面で大きな差がついてしまっていたのです。
一緒に勉強していても、能力の違いを痛感させられどおしでした。僕が打った碁を見てもらうのですが、局面をパッと見ただけでものすごい指摘をしてきたりとか、僕が全く考えもしなかった手に気が付いたりとか…。
そのうち井山さんは19歳で名人戦の挑戦者になったりして、ますます差が開く…。「これはもう井山さんに今すぐ追いつこうとしても無理だ」と思い、「自分は自分のペースでやっていくしかない」と考えを変えました。
だからといって、このときに碁が嫌だと思った記憶はないので、この目標の修正は僕にとって悪いことではなかったのだと思います。つらいことではありましたが、今となってみればよかったことだったのでしょう。

『NHK囲碁講座』2015年7月号より

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