武田信玄の棋風

黒番:高坂弾正/白番:武田信玄(勝ち)
総譜(1-166)  ツグ(38)
テキスト『NHK囲碁講座』では、元参議院議員の藁科満治(わらしな・みつはる)さんが綴る「囲碁文化の歴史をたどる」が好評連載中です。7月号では、戦国武将と囲碁の関わりについて紐解きます。

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応仁元年(1467)に「応仁の乱」が始まって以降、わが国は長い戦乱の世に突入します。その戦国時代にあっても武将たちは碁盤と碁石を手から離しませんでした。ここでは、武田信玄と囲碁の関係について触れることにします。
戦国武将に関わる歴史の本で武田信玄を厳しく描いたものはあまりありません。「第一級の武将」「理性に富んだ武将」と讃(たた)えるものが多く、そして戦の面では「勝つ戦略よりも負けない戦略」を信条にしたと解説されています。信玄の囲碁もそんな棋風だったのでしょうか。信玄と高坂弾正(こうさかだんじょう)との対局石像は、山梨県北杜市囲碁美術館のシンボルとして、平成18年(2006)に建造(総重量1トン)されたもので、その見事な出来栄えは見学者を魅了しています。
棋譜(『爛柯堂棋話』東洋文庫 平凡社)に刻まれた一手一手を並べてみると、この棋譜の打ち手は、相当な実力の持ち主と判断されます。黒の高坂は攻めっ気の強い打ち手であるのに対して、信玄はかわしかわし我慢強く打ち進めています。しかし、最後に大局観の差が出て、左上の黒数子が立ち枯れとなって白の中押し勝ちとなりました。こういう経過と結果を見ると、何やら出来過ぎの感がないでもありませんが、歴史の本に解説されているとおり、信玄ならこのような碁を打つのではないかと思えてくるから面白いものです。ただ、その当時、採譜の習慣や記録はなく、この棋譜が本物か後世に誰かの手によって創作されたものかは定かではありません。また、甲州の古い資料によりますと、囲碁に関しては「信玄より高坂のほうが二子強かるべし」とする伝説があるようです。
■『NHK囲碁講座』2015年7月号より

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