物語の「黄金分割」を編み出したソポクレス
- ディオニュシア祭で悲劇が演じられていた、アテネ・アクロポリスの南麓にあるディオニュソス劇場
オイディプス王が治めるテバイは、疫病が広がり、作物は枯れ、家畜は死に絶え、国中が歎きと悲しみの声で満ちあふれていた。その原因を求めてアポロンの神にうかがいを立てさせたオイディプスだったが、妃の弟クレオンによってもたらされた神のお告げは、いまだ捕らえられずにテバイの地の内にいる先王ライオス殺しの犯人を罰し、国土より追いはらえというものだった──。
ソポクレスが生み出したギリシア悲劇の傑作『オイディプス王』は、すばらしい起承転結を内包し、ひじょうに優れた構成の戯曲作品として成立している。そのフォーマットが、現代にも通ずる物語の「黄金分割」となったと作家・法政大学教授の島田雅彦(しまだ・まさひこ)氏は指摘する。
* * *
ストーリーの中心は犯人捜しですが、冒頭で使いに出していたクレオンが駆け込んでくるあたり、ひじょうにドラマ性の高い場面が用意されています。推理もののドラマで死体が発見され、殺人課の捜査員もしくは探偵が呼ばれたところから始まるのと似ています。事件が起き、関係筋からさまざまな状況証拠や目撃者証言をさぐっていくうちに犯人に行きつく。このスリリングな展開は、まさにミステリーの構成そのものです。観客たちにはすでにオイディプスが犯人だという「命題」が与えられています。探偵たるオイディプスはその命題が偽であることの証明をしなければなりません。
チェスや将棋のようなゲームも、「王」を取るまでの過程を楽しむものです。その最終目的に向けて論理を構築し、伏線をはり、攻めていく。そのプロセスの違いが指し筋の違いというわけですが、物語においてもこうした個性は表出します。起承転結の、とりわけ「承」と「転」の持っていきかたによって、エンターテインメント性の出来が左右されてしまうのです。
ソポクレスの参加したコンクールでも、完璧な構成の芝居には、観客は進行とともにため息をついたり、感嘆の声をあげたりしたはずです。いまではすっかりエンターテインメントの法則も洗練され、起承転結の構造はもっと細かくマニュアル化されています。ハリウッドなどはその文法に則(のっと)って、すべての映画を作成しているといっても過言ではありません。
細かいことを言えば、物語の起承転結は構成上、シンメトリー(対称)につくられるのが良いとされています。90分の映画であれば、45分のところにちょうど折り返しが来るように設定する。あるいは、200ページの物語であれば、100ページのところに物語上の折り返しがあるというようにつくり込む。
このメソッドによれば、前半までにしか新たな伏線は出してはいけないことになっています。後半は、その前半に張り巡らせた伏線をそれぞれ畳んでいく作業をするというのが、ベーシックな構成です。もちろん、前半のなるべく早い段階に主人公を登場させ、観客にすばやく感情移入してもらえるキャラクターをつくり上げることも肝要になります。
伏線の畳み方にも工夫は必要です。前半で提起された謎に対しては、ひとつひとつ答えを与えていかなければいけませんが、観客があまりに早くその予想がつくものだと、いまひとつ盛り上がりません。必ず、観客の予想を裏切る謎解きや展開を用意しておかなければならないのです。
この『オイディプス王』のドラマの肝(きも)は、観客にどんでん返しの楽しさを味あわせることにかかっています。もしまったくストーリーを知らない観客が見れば、運命にあらがう努力を続けながら、それが全部裏目に出てしまうオイディプスに同情してしまうことでしょう。
起承転結の「結」は、いわば最後のひとおしです。カタルシスを観客に与えるための展開です。90分の映画であれば80分のところ、200ページの本であれば180ページぐらいのところとなるでしょうか。主人公は最大の危機に陥り、その危機を辛(から)くもくぐり抜けることで、観客はカタルシスを得るのです。これが、エンターテインメントの秘法、ハリウッドが踏襲するフォーマットです。あとは、フォーマットに可変要素を補っていけばよい。いうなれば、起承転結は、物語の大量生産を可能にする型枠のようなものなのです。ソポクレスはその決定版、美術の世界における黄金分割を、編み出したのです。
■『NHK100分de名著 ソポクレス オイディプス王』より
ソポクレスが生み出したギリシア悲劇の傑作『オイディプス王』は、すばらしい起承転結を内包し、ひじょうに優れた構成の戯曲作品として成立している。そのフォーマットが、現代にも通ずる物語の「黄金分割」となったと作家・法政大学教授の島田雅彦(しまだ・まさひこ)氏は指摘する。
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ストーリーの中心は犯人捜しですが、冒頭で使いに出していたクレオンが駆け込んでくるあたり、ひじょうにドラマ性の高い場面が用意されています。推理もののドラマで死体が発見され、殺人課の捜査員もしくは探偵が呼ばれたところから始まるのと似ています。事件が起き、関係筋からさまざまな状況証拠や目撃者証言をさぐっていくうちに犯人に行きつく。このスリリングな展開は、まさにミステリーの構成そのものです。観客たちにはすでにオイディプスが犯人だという「命題」が与えられています。探偵たるオイディプスはその命題が偽であることの証明をしなければなりません。
チェスや将棋のようなゲームも、「王」を取るまでの過程を楽しむものです。その最終目的に向けて論理を構築し、伏線をはり、攻めていく。そのプロセスの違いが指し筋の違いというわけですが、物語においてもこうした個性は表出します。起承転結の、とりわけ「承」と「転」の持っていきかたによって、エンターテインメント性の出来が左右されてしまうのです。
ソポクレスの参加したコンクールでも、完璧な構成の芝居には、観客は進行とともにため息をついたり、感嘆の声をあげたりしたはずです。いまではすっかりエンターテインメントの法則も洗練され、起承転結の構造はもっと細かくマニュアル化されています。ハリウッドなどはその文法に則(のっと)って、すべての映画を作成しているといっても過言ではありません。
細かいことを言えば、物語の起承転結は構成上、シンメトリー(対称)につくられるのが良いとされています。90分の映画であれば、45分のところにちょうど折り返しが来るように設定する。あるいは、200ページの物語であれば、100ページのところに物語上の折り返しがあるというようにつくり込む。
このメソッドによれば、前半までにしか新たな伏線は出してはいけないことになっています。後半は、その前半に張り巡らせた伏線をそれぞれ畳んでいく作業をするというのが、ベーシックな構成です。もちろん、前半のなるべく早い段階に主人公を登場させ、観客にすばやく感情移入してもらえるキャラクターをつくり上げることも肝要になります。
伏線の畳み方にも工夫は必要です。前半で提起された謎に対しては、ひとつひとつ答えを与えていかなければいけませんが、観客があまりに早くその予想がつくものだと、いまひとつ盛り上がりません。必ず、観客の予想を裏切る謎解きや展開を用意しておかなければならないのです。
この『オイディプス王』のドラマの肝(きも)は、観客にどんでん返しの楽しさを味あわせることにかかっています。もしまったくストーリーを知らない観客が見れば、運命にあらがう努力を続けながら、それが全部裏目に出てしまうオイディプスに同情してしまうことでしょう。
起承転結の「結」は、いわば最後のひとおしです。カタルシスを観客に与えるための展開です。90分の映画であれば80分のところ、200ページの本であれば180ページぐらいのところとなるでしょうか。主人公は最大の危機に陥り、その危機を辛(から)くもくぐり抜けることで、観客はカタルシスを得るのです。これが、エンターテインメントの秘法、ハリウッドが踏襲するフォーマットです。あとは、フォーマットに可変要素を補っていけばよい。いうなれば、起承転結は、物語の大量生産を可能にする型枠のようなものなのです。ソポクレスはその決定版、美術の世界における黄金分割を、編み出したのです。
■『NHK100分de名著 ソポクレス オイディプス王』より
- 『ソポクレス『オイディプス王』 2015年6月 (100分 de 名著)』
- NHK出版 / 566円(税込)
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