トマトやピーマンはいつ頃日本人の生活に根づいた?

今では日本の食卓にあるのが当たり前の夏野菜たち。いつごろ、日本へ伝わったのでしょう。そのルーツと、歴史に残るエピソードを紹介します。

■有名絵師もモデルにしたトマト

トマトは、17世紀半ばに日本に伝わったと言われ、「唐柿(とうがき)」と呼ばれていました。狩野(かのう)派の絵師・狩野探幽(たんゆう)は『草花写生図巻(そうかしゃせいずかん)』(1668年)に、「唐なすび」と題して、ひだの多いトマトを描いています。
古くは観賞用で、野菜になったのは明治に入ってから。アメリカから輸入された赤系の9品種が「アカナス」として栽培されるようになりましたが、日本人は、色や特有のにおいが好きになれなかったそうです。一般の人がトマトを食べるようになったのは、食生活が洋風化し、ピンク系品種が導入された昭和に入ってからです。

■昔はコショウと呼ばれていた!? トウガラシ・ピーマン

トウガラシの伝来には諸説あり、16世紀にポルトガル人が伝えたとか、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際にタネを持ち帰ったなどと言われています。和名がつく前は「コショウ」と呼ばれていました。「ナンバン」と呼ぶ地域もあります。
「伏見甘(ふしみあま)」などの甘み種は江戸時代から栽培されていましたが、明治になると、アメリカで改良されたピーマンが入ってきました。その名は、トウガラシを意味するフランス語piment(ピメント)に由来します。食生活の洋風化が進んだ昭和30年代から、肉によく合う野菜として広まりました。
■『NHK趣味の園芸 やさいの時間』2015年5月号より

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