心はいかにして自由になれるのか──西行法師、松尾芭蕉らに影響を与えた『荘子』

荘子(荘周)(『三才図会』より)
今から約2300年前、中国の戦国時代中期に成立したとされる思想書『荘子』。著者の名前も荘子(荘周〈そうしゅう〉)だが、この書は彼とその弟子たちが書き継いだものが一つにまとまった本である。
中国仏教の形成に多大な影響を及ぼし、後世においても非常に多くの人々に刺激を与えたという『荘子』の思想について、作家・僧侶の玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)氏に聞いた。

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『荘子』は、一切をあるがままに受け容れるところに真の自由が成立するという思想を、多くの寓話(ぐうわ)を用いながら説いています。「心はいかにして自由になれるのか」。その思想は、のちの中国仏教、即ち禅の形成に大きな影響を与えました。寓話を使っていることからも分かるように、『荘子』は思想書でありながら非常に小説的です。じつは、「小説」という言葉の起源も『荘子』にあって、外物(がいぶつ)篇の「小説を飾りて以て県令を干(もと)む」という一節がそれです。「つまらない論説をもっともらしく飾り立てて、それによって県令の職を求める」という意味で、そのような輩(やから)は大きな栄達には縁がないと言っています。あまりいい意味ではないのですが、これが小説という言葉の最古の用例です。
実際に、日本でも作家や文筆家など、多くの人々が『荘子』から創作への刺激を受けています。よく知られたところでは、西行法師、鴨長明、松尾芭蕉、仙厓義梵(せんがい・ぎぼん)。
良寛も常に二冊組の『荘子』を持ち歩いていたと言われています。近代では森鷗外、夏目漱石、そして分野は違いますが、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士も『荘子』を愛読していました。中間子理論を考えていた時に、『荘子』応帝王(おうていおう)篇の「渾沌七竅(こんとんしちきょう)に死す」の物語を夢に見て、大きなヒントを得たといいます。
『荘子』は反常識の書だ、ただ奇抜なだけだ、という人もありますが、私にとっては常に鞄(かばん)に入れて持ち歩くほど大切な本です。ふと思いついてパッと開いたところを読むだけで、何かがほどけるような気分になります。とかく管理や罰則など、いわゆる儒家や法家的な考え方が支配的な世の中です。社会秩序とはそういうものかもしれませんが、果たしてそれは個人の幸せにつながるのか……。『荘子』には常にその視点があります。個人の幸せというものをどう考えるかという視点に立つと、荘子の思想は欠かせないものなのです。
今、人々は、言葉や思想というものが大変恣意(しい)的な都合でできあがっている、暫定(ざんてい)的なものであるという認識を失(な)くしているように思います。たとえば、いわゆるグローバリズムの名の下に行なわれていることは、汎(はん)地球主義ではなく、欧米的価値観の押しつけだったりもするわけです。じつはさまざまな民族や宗教による考え方は非常に相対的なものであり、何かが絶対的に正しいというものではない──と、徹底的に笑いながら話しているのがこの『荘子』です。
また、東日本大震災を経た今、私たちは「自然」というものをもう一度とらえ直すべきではないかとも思います。いつしか人間は、自然というものは、自分たちが全貌を理解して制御することが可能なものだと思い込んでいたのではないでしょうか。自然とは恐ろしいものであり、人間がその全てを把握することなどできないという認識が、なくなっていたのだと思います。荘子は、人知を超えたあらゆるもののありようを「道」ととらえました。言い換えればそれが「自然」でもあります。自然とは何か。それをもう一度考え直す時に、『荘子』は最良のテキストになると思います。
■『NHK100分de名著 荘子』より

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