桜を詠んだ短歌に見る「つぶつぶ」という表現

日本の春を彩る桜。花の見え方は人それぞれであり、それは歌に詠むときも同じ。「未来」選者の佐伯裕子(さえき・ゆうこ)さんが、美しさだけに囚われない、個性的な桜をうたった短歌を紹介します。

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春が来て何より嬉しいのは、賑やかに花が咲きだすことでした。でも、少女期から近視眼だったわたしには、春の花々もぼんやり煙って見えていたのです。他の人の眼にはどのように映っているのかと、いつも気になっていました。初めて眼鏡をかけて満開の桜並木を歩いたとき、花の一つ一つに黒い蕊(しべ)が見えて驚いたものです。無数の黒点ばかりが気になって、息苦しい思いにかられました。
当たり前ですが、同じ花でも、それぞれの人によって違った見え方をしていたのだと実感しました。視力の問題ばかりではないでしょう。風土や個性や年齢の違いがあります。そのような事実に気づいてからは、人々の眼にどのように物事が映っているのか、気になってなりませんでした。歌を作るようになってから、わたしと似た視線をもって作られた桜の歌に出会うと、嬉しくなったことを覚えています。
つぶらかにわが眼を張ればつぶつぶに光こまかき朝櫻かも

岡本かの子『浴身』


「美しく儚(はかな)い桜」という見方に囚われない、つよい視線の感じられる歌でした。岡本かの子は桜の歌を百首作るために、毎日桜を見つめ続けて気分が悪くなったそうなのです。その時に作った歌でした。精一杯に眼を見開いているかの子。「つぶつぶ」という表現に、何となく不気味なものを感じている様子がうかがえます。花びらの一つ一つを「光こまかき」に重ねているところも巧みにできています。
一連の桜の歌の冒頭には、代表作となった一首、「櫻ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり」が据えられています。自分なりの見え方に添って作っているうちに、自分の内面に迫る桜の歌ができたのではないかと思われます。
ずっと後になってから、わたしも次のような桜の歌を作りました。思い返してみると、一首の原点には度のつよい眼鏡をかけて見た、あのつぶつぶの桜並木があったのです。
それは、「てんでんに婆羅婆羅に宙に動きだす桜大樹の花のかたまり」(佐伯裕子『みずうみ』)という一首でした。無数の花の蕊が大きく動きだす桜の大樹は、わたしの花の原点であり、心のなかの風景になっていたのでしょう。黒いつぶつぶした不安感を、「ばらばら」という音と、漢字「婆羅(ばら)婆羅」に託してみました。
歌を作る時、花なら花を見てそのまま表そうとする姿勢があります。また、一目見てから心の中で培養し変形させていく姿勢もあります。わたしは、この二つの方法が混ざり合うことで、ふわっと飛躍する歌や内面に迫る歌が生まれてくるのではないかと思っています。
■『NHK短歌』2015年5月号より

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