茶道三千家の祖とは

官休庵外観 提供:『起風』編集部
千利休(せんのりきゅう)の孫である宗旦(そうたん)は、「一畳半床なし」の茶室を建て、自身の茶の湯を積極的に展開しました。しかし、祖父利休の悲劇的な最後を慮り、大名家からの仕官の要請を拒み続け、亡くなるまで清貧を貫いたことで知られています。その宗旦には四人の息子がいました。第14代家元 千宗守(せん・そうしゅ)さんが、それぞれの来歴を紹介します。

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■宗旦の四人の息子

宗旦には四人の息子がいました。先妻日安妙宗(にちあんみょうしゅう)との間に長男の閑翁宗拙(かんおうそうせつ)と次男一翁宗守(いちおうそうしゅ)、後妻真巌宗見(しんがんそうげん)との間に三男江岑宗左(そうさ)と四男仙叟宗室(そうしつ)です。息子たちはそれぞれ茶人として独立し、一翁は官休庵(かんきゅうあん)、江岑は不審菴(ふしんあん)、仙叟は今日庵の主となって利休の茶の湯と血脈を受け継ぎ、それぞれ後世に武者小路千家、表千家、裏千家と称される三千家の祖となります。
長男の宗拙は父宗旦に大いに期待されていましたが、何かと折り合いが悪く、ついには勘当され、父よりも早くに亡くなります。そして次男の一翁は養子に出されて長らく千家を離れたことで、茶の道に入るのがいちばん遅かったのです。結果として、三男の江岑が家督を継いで不審菴に納まり、四男仙叟が地続きにある今日庵を譲られました。
 

■一翁宗守

一翁は、三千家の祖というくくりで見たとき、江岑や仙叟に比べて異色の経歴を持っています。そして、その経歴ゆえに、父宗旦との関係も他の兄弟とは異なるものとなり、そのことが一翁の茶の湯にも多分に影響を及ぼしたと考えられます。
一翁は若くして、福島正則(ふくしま・まさのり)由縁で蒔絵(まきえ)屋を営む吉文字屋吉岡与三右衛門(きちもんじやよしおかよさんうえもん)の娘婿として吉岡家に入家しました。のちに初代中村宗哲(そうてつ/千家十職〈せんけじっしょく〉)に娘を嫁がせ、また吉岡家の業の一部を譲り、父宗旦や千家の兄弟たちの勧めで千氏に復しています。
そして武者小路の地に父宗旦と相談して茶室を造り、宗旦に「官休庵」の席名をつけてもらったと伝えられています。また、「宗守」の号は、一翁の参禅の師である大徳寺一八五世玉舟宗璠(ぎょくしゅうそうばん)から授けられたもので、これをもって茶人としての道を歩み始めました。一方で、讃岐(さぬき)高松の松平家の茶頭として仕官もし、晩年は武者小路の地で悠々自適の茶三昧の生涯を送りました。
■『NHK趣味Do楽 茶の湯 武者小路千家 春の茶事を楽しむ』より

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