武者小路千家の歴史を辿る——利休から小庵、小庵から宗旦へ

長谷川等伯筆 利休像
NHK『趣味Do楽 茶の湯 武者小路千家 春の茶事を楽しむ』では、武者小路千家 第14代家元 千宗守(せん・そうしゅ)さんを講師に迎え、「炉を用いての茶」の作法を教えていただきます。茶の湯の世界へのはじめの一歩に、武者小路千家がどのように生まれ、その歴史を紡いできたのか、学んでみましょう。

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■利休(りきゅう)から少庵(しょうあん)、少庵から宗旦(そうたん)へ

侘(わ)び茶は、村田珠光(むらた・しゅこう)が始め、その弟子の武野紹鷗(たけの・じょうおう)により高められ、千利休によって大成されました。利休は織田信長、豊臣秀吉の茶頭(さどう/茶の湯をつかさどる役)として仕え、武将、公卿、僧侶、商人たちと交わり、侘び茶を広めました。そして天正19年(1591)、秀吉の勘気に触れ、自刃して果てました。
利休の遺児、少庵は会津若松の蒲生氏郷(がもう・うじさと)のもとに預かりの身となり、流寓(りゅうぐう)を余儀なくされます。それから数年後、徳川家康らのとりなしで少庵は赦免され、千家を再興します。不遇な時を経ながらも、少庵は利休の茶の湯を継承し、その侘び茶の精神は途切れることなく、息子の宗旦へと受け継がれたのです。
少庵が赦(ゆる)された文禄3年(1594)、17歳のころに宗旦は還俗(げんぞく)して千家に帰りました。そして慶長5年(1600)ごろ、少庵の隠居に伴い、宗旦は家督を相続します。
寛永10年(1633)、宗旦は「一畳半床なし」の茶室を建てます。そこで、江月宗玩(こうげつ・そうがん)や清巌宗渭(せいがん・そうい)らの大徳寺衆や関白近衛信尋(このえ・のぶひろ)を招き、この茶室を舞台に自身の茶の湯を積極的に展開していったのです。宗旦は祖父利休の悲劇的な最後を慮(おもんぱか)り、大名家からの仕官の要請を拒み続け、生涯茶の湯をたずきとせず清貧に甘んじました。故に、「乞食(こじき)宗旦」とのちに讃(たた)えられました。
正保3年(1646)、宗旦は69歳で三男江岑(こうしん)に家督を譲って隠居しました。さらに2畳敷きの隠居所(のちの今日庵〈こんにちあん〉)で茶三昧の生活を送り、承応2年(1653)にはまた隠居し、今日庵を四男仙叟(せんそう)に譲っています。そして万治元年(1658)12月19日、81歳の天寿を全うしました。
■『NHK趣味Do楽 茶の湯 武者小路千家 春の茶事を楽しむ』より

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