「親愛なるキティーへ」──アンネの日記帳が果たした重要な役目とは

アンネ・フランクの銅像
『アンネの日記』はほぼ毎回、「親愛なるキティーへ」という一文から綴られる。キティーとはアンネが生み出した架空の友人であるが、エッセイ『アンネ・フランクの記憶』などを著した作家の小川洋子(おがわ・ようこ)氏は、このキティーが重要な役目を担っていると指摘する。

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ところで、アンネが日記にけっしてユーモアを忘れなかった理由とは何だったのでしょうか。それは、構成上の特徴に秘密があると思われます。よく知られたことですが、アンネは「キティー」というこの世に存在しない人物に宛てて書くという形式を取りました。キティーとは、のちの友人などの証言から、当時オランダで流行し、アンネも愛読していた「ヨープ・テル・ヘール」という児童文学シリーズの登場人物ではないかと推測されています。
アンネがキティーについて記した部分を見てみましょう。
この日記帳自体はわたしの心の友として、今後はわが友キティーと呼ぶことにしましょう。

 (1942年6月20日)



こうして、日記はほぼ毎回、「親愛なるキティーへ」の一文から書き綴られることになるのです。
キティーという架空の存在を作り出したところに、わたしはアンネの直感的な文学的才能を感じます。誰かのために語るということは、物語の原点に他なりません。キティーに向けて、自分の内なる気持ちを語りかけていく。先に、日記はアンネにとって内側のものを外に放つ通路だったのではないかと述べましたが、キティーを設定することでその流れはせせらぎとなって、ゆるやかに外に放たれたのです。
日記は本来、自分以外の読者を必要としません。しかしアンネは自分自身の感情をノートにただぶつけるのではなく、苦しい事柄でも楽しい出来事でも、そこからあえて距離をとって言葉を紡(つむ)ぎ出し、読者たるキティーに手渡すという構図をとりました。客観的な視点を確立したことで、この日記は文学にまで昇華(しょうか)したのです。
そして、キティーの存在を用いたことによる、もうひとつの効果がありました。『アンネの日記』を題材にした小説『乙女の密告』の作者、赤染晶子さんがおっしゃっていたのですが、それは、毎回必ず最後に「アンネより」、あるいは「アンネ・M・フランクより」と署名したことです。毎回名前を刻むことは、「私はここに生きているのだ」と確認する作業となったはずです。世界にたったひとりしかいない自分、個人としての独立した自分の存在を、アンネは日記に繰り返し刻みつけることになったのです。
「キティーはいつも辛抱(しんぼう)づよいので、このなかでなら、わたしの言い分を最後まで聞いてもらえる」と、アンネは記しています。反論も否定もせず、ただ黙って話に耳を傾けてくれる友人。そう考えるとキティーはアンネにとって、カウンセラーのような存在だったのかもしれません。
日記を書き始めた当初は、友人たちと会えなくなる日がやってくるとは想像もしていなかったでしょう。しかし、非情にもその現実がたちまちやってきてしまった。キティーという架空の友人は、アンネが希望を持って生きる上で、もっとも重要な役目を果たすことになるのです。
■『NHK100分de名著 アンネの日記』より

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