『フランケンシュタイン』は玉葱のような作品

『フランケンシュタイン』の作者メアリ・シェリー
「『フランケンシュタイン』は玉葱(たまねぎ)のような作品で、皮をむくと、次々と内側から物語が出てくる」。
京都大学大学院教授の廣野由美子(ひろの・ゆみこ)氏が『フランケンシュタイン』に興味を持ったきっかけとなったのは、客員講師として招かれた若いイギリス人研究者のこんな言葉だった。
当時、大学院の博士課程に在籍していた廣野氏の『フランケンシュタイン』との出会いとは――。

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この講義の内容については、他のことはあまり覚えていませんが、“Frankenstein is a novel like an onion” という言葉だけは、いまも耳に残っています。この表現を聞いた瞬間、「これは文学的に価値のある小説なのだ」と、私は直観的に悟りました。そして早速、原作を読むことにしたのです。
19世紀を中心とする時代のイギリス小説を研究していながら、私がそれまで『フランケンシュタイン』(初版1818年)を手にとっていなかったのは、一般に流布している〈フランケンシュタイン〉のイメージがあまりにも強烈なため、典型的なゴシック小説(18世紀後半から19世紀初頭に流行した超自然的な内容の恐怖小説)だと思い込み、かえって読む気をそがれてしまっていたからかもしれません。しかし、その先入観は完全に打ち破られました。実に読み応えのある、深い小説であることを発見したのです。
数年後、私が山口大学に教員として赴任し、最初の大学院の授業ではりきって取り上げたのが、この『フランケンシュタイン』です。原書の英語はなかなか難解で、学生たちは予習に苦労したようですが、読み進めるうちに、彼らもしだいに作品に魅せられていきました。「夜、勉強しながらふと窓のほうを見ると、黄色い顔をした怪物が覗き込んでいるような気がした」という学生もいたほどの取り憑かれぶりで、怪物の語りの部分では、みんなが「かわいそうだ」と共感を覚えるに至りました。
その授業も終わりに差しかかったころ、ちょうどケネス・ブラナー監督・主演の『フランケンシュタイン』(1994年、原題はMary Shelley’s Frankenstein )が封切られ、学生たちに誘われて、私もいっしょに映画館へ見に行きました。原題でわざわざ「メアリ・シェリーの」と作者の名前を冠につけるぐらいですから、従来のホラー型の映画とは趣が違うはず、と期待したのですが、これでもかこれでもか、というようなおぞましい映像の連続に、私たちはみなげんなりしてしまいました。
たしかに、マイナーな登場人物なども描かれていて、比較的原作に沿った内容ではありました。にもかかわらず、「何かが違う」と私たちが感じたのは、なぜでしょう? そのときこそ私たちは、『フランケンシュタイン』を読むことがどんなに楽しく、原作がいかに美しい作品であったかを痛感したのです。たとえストーリーを忠実に辿っても、いったん映像化すると、視覚的な効果が優先され、本質的な魅力が抜け落ちてしまう場合があります。原作にも、怪物はどうしようもなく醜い存在だと書かれています。しかし、その姿がいったん具体的な像を伴うと、観る者は醜さに嫌悪感を抱き、外観に圧倒されて、内に隠された怪物の「内面」に気づけなくなってしまうのです。皮をむいていった“玉葱”の中心部にある「怪物の語り」をとおして、その心の奥底を直接読者に覗かせてくれるのは、やはり「語り」という形式を基本とした「小説」にしかできないことだとわかりました。こうして『フランケンシュタイン』は私に、「小説とは何なのか」ということを知るきっかけを与えてくれたのです。
■『NHK100分de名著 メアリ・シェリー フランケンシュタイン』より

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メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』 2015年2月 (100分 de 名著)
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