「若さだ!」――増田裕司六段を変えた木下晃七段の言葉

増田裕司六段(右)と森 信雄七段(左) 写真:河井邦彦
増田裕司(ますだ・ゆうじ)六段は、中学3年生で研修会から奨励会に編入してプロを目指すも、6級で1年2か月、5級でも1年と長い間足踏みをすることになる。高校を卒業する頃にはプロ入りを諦めかけたが、木下晃(きのした・あきら)七段(故人)の言葉が増田六段の運命を変えた。当時の様子を増田六段が活写する。

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このころ、高校を卒業して、4月からはコンピューター専門学校への入学も決まっていたので、このとき初めて奨励会を辞めようと思い、例会後に天王寺駅をさまよっていると、木下晃七段にバッタリと会った。今日は奨励会でしたと先生に言うと、元気がないのを察してか夕食に誘ってくださった。我慢していたが、正直に奨励会を辞めようと思っていますと言うと涙がこぼれてしまった。
先生は困ったと思うが「私に勝つにはどうしたらいいと思う?」と聞かれた。「得意戦法で戦う、ですか?」と答えたが、「それでは私を倒せない」と言われた。しばらく考えても答えが分からなかったので「分かりません」と言うと、「若さだ! 若さでは絶対に君に勝てない。まだ若いんだから元気を出して頑張りなさい」と励まされた。木下先生との偶然の出会いのおかげで奨励会を辞めずに済んだことに、運命を感じてならない。
20歳で三段になったが三段リーグの対戦表がすでにできていて途中参加ができないので、半年待って21歳から三段リーグ初参加となる。低空飛行を続けていたが、24歳のときに見かねた師匠の森信雄(もり・のぶお)七段に一人旅に行くことを勧められた。精神力を鍛えてこいという訳だ。そのころの師匠はあまり小言を言わず、要所、要所だけは何か言うようにしていたようだ(私は今、奨励会に弟子が2人いるが、森師匠のまねをしている)。一人旅はお金がなかったので青春18キップで奈良から秋田まで鈍行で行った。安いサウナに泊まり、観光は駅のレンタサイクルを利用して方々を回った。10日間の旅だったが、精神的にたくましくなったのを実感できた。
ほかに印象に残っているのは弟弟子の安用寺君が三段になって、私と三段リーグで対戦する数日前のこと。師匠の家で10番勝負をするように言われた。ただでさえ対戦前は一局も指したくない、手の内を見せたくないのだが10番勝負とは…。そのころの師匠には嫌なことは避けずに逆にやれと言われていた(ちなみに最近の師匠は三段リーグで同門の対戦が決まると「研究会の日程を遅らせるか?」と人間的に丸くなっている)。
師匠の家ではいろいろなイベントをしていただいた。クリスマス会や花火大会の観賞会。外に出てハイキングなど。ほかの門下のことはよく知らないが、家族的な雰囲気で集まるのは少ないと思う(師匠の奥さんの影響が大きい?)。
■『NHK将棋講座』2015年2月号より

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