趙治勲二十五世本因坊が山部俊郎九段の逆鱗に触れたワケ

イラスト・石井里果
「いちばんモテる囲碁棋士は?」 そんな質問を投げかけられたとき、皆さんならどう答えるだろうか。趙治勲(ちょう・ちくん)二十五世本因坊の答えは山部俊郎九段の逆鱗に触れてしまったようだ。

* * *

今月は山部俊郎九段のお話です。皆さんはどんなイメージを持っていますか。山部先生はきれいな白髪がトレードマーク。ニックネームは「変幻山部」。棋風は、ここから想像できますよね。藤沢秀行(名誉棋聖)先生、梶原武雄(九段)先生との三人で、「戦後派三羽烏(さんばがらす)」と呼ばれていました。
無口で眼光鋭く、近寄りがたいイメージはあったかもしれません。無口だった理由は分かります。山部先生はぼくと同じで、きつ音になることがあってね。人と接するのがおっくうになるときがあるんですよ。先生とは30くらいの年齢差があったのですが、親しくさせてもらいました。お互いに親近感が湧いたのかな。
ぼくの先生に対するイメージは、立会人かな。当時は6時間の持ち時間が主流で、終局するころには電車はもう終わっています。あるとき、対局が終わってから先生と軽い夜食をとりに外へ出ました。お酒もしっかりと補給して(笑)、あとは始発電車を待つだけです。駅前だったか公園だったか、二人でベンチに腰掛けて、たわいもない会話を交わしていました。先生はずっと穏やかな口調だったのですが、いきなり低い声でこう聞いてきました。
「碁打ちでいちばんモテるのは誰だ?」
半分冗談だろうと思い、何の気なしに頭に浮かんだ棋士の名前を答えました。「秀行先生じゃないですかね」と。
烈火のごとく、という言葉があります。まさかそれを、これから身をもって体験することになろうとは…。
「オレだろう! チクン、お前は何をバカなことを言っているんだ!」
あの穏やかな山部先生はどこにいったのか。先生は筋金入りの愛妻家として知られていました。奥様と何かあったのかとも想像しましたが、真相はいまだ闇の中です。
先生との対局でも思い出があります。全国を巡りファンの目の前で対局する、NEC杯という早碁棋戦がありました。そこで山部先生にキレイに負かされたことがあるんです。その晩の打ち上げでのことです。碁界を強烈に応援、そして愛してくれた関本忠弘NEC社長も駆けつけてくれて、それはそれはにぎやかでした。そしたら社長が黒田節を歌い出したんだ。山部先生は碁で勝ったからもちろん上機嫌。ぼくも楽しい雰囲気に包まれて負けたショックはどこへやらですよ。いつの間にか関本社長の黒田節に合わせてダンスをしている山部先生とぼくがいました…。それ以来、関本社長はぼくの顔を見ると、「お前は碁に負けたあとオレの黒田節にのって山部さんとダンスをしたんだ!」って。そのたびに負けた碁が頭の中に浮かんできて…。
思えばあのベンチでの会話が伏線でした。あんな怖い山部先生は見たことがなかったから、あれでビビっちゃった。だからその後のNEC杯で負けちゃったんですよ。一服盛られたのかな?
■『NHK囲碁講座』2015年1月号より

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