茶人に求められる清潔さの心得とは

茨城県・五浦の天心旧邸
茶室は、茶道と同じく室町末期から安土桃山時代の千利休によって完成されたと言われている。美術運動指導者・文明思想家の岡倉天心(おかくら・てんしん)は、著書『茶の本』の第四章「茶室」の冒頭で、茶室の別名である「すきや」という呼称にあてられる漢字について触れる。
天心は、「すきや」には「数寄屋」「好き家」「空き家」という三とおりの漢字をあてることができると述べている。このことについて東京女子大学教授の大久保喬樹(おおくぼ・たかき)氏は、「単なる言葉遊びのレベルではなく、茶室というものはさまざまな意味を持ちうる、つまり道教や禅が重視する存在の相対性、可変性、多義性をあらわしているということにほかなりません」と語る。天心の茶室に関する見解を、大久保氏が『茶の本』から引用、解説する。

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茶室はそのありようそのものが禅的な精神の結晶だと言えます。加えて、茶室はその成り立ちにおいても、禅が深くかかわっています。茶室は千利休によって完成されましたが、利休は禅宗に深く帰依していた人物です。天心はまず、茶室の簡素さは、それが禅の僧院を参考にした結果であるとし、その独特の狭さも禅の経典の一節に由来するものだと解説します。
茶室が簡素、純粋さをめざしたのは、禅の僧院にならった結果にほかならない。禅の僧院は、ほかの仏教諸派と異なり、僧たちの住まいとして作られている。その聖堂は、祈りをあげたり、参拝したりするための場所ではなく、修行僧が議論したり瞑想をおこなうために集まる教場なのだ。(中略)
 
わが国の偉大な茶の宗匠たちは、いずれも、禅を学び、その精神を日々の暮らしに実践しようとしてきた。その結果、茶室は、茶道具同様、多くの点で禅の教義を反映したものとなっている。正式な茶室の広さは、四畳半すなわち八平方メートルほどだが、これは、「維摩経(ゆいまきょう)」の一節に由来する。この興趣に富んだ書物によれば、維摩詰(ゆいまきつ)が文殊菩薩(もんじゅぼさつ)と八万四千の仏弟子たちをこの広さの部屋で迎えたというのであるが、これは、真に悟りを開いた者には空間というようなものは存在しなくなるという教えのたとえ話にほかならない。
また、茶室の内部はすべて地味な色合いに整えられ、茶道具にしても新品めいたものは持ち込まれないと言います。しかし、古く色あせてはいても、茶室も、茶室の中にある道具もすべて徹底して清潔であることを天心は指摘します。清潔さを保つ術を心得ていることが茶の宗匠の基本条件であるとも言っているのですが、その術とはどのようなものなのでしょうか。天心の見解を引用してみます。
清掃にも技があるのだ。年代物の金属製品などはオランダの主婦のように無闇に力を入れて磨きたてればよいというものではない。花瓶から滴る雫(しずく)はぬぐってしまってはならない。すずしげな露を思わせるからである。
これについては、利休に、茶人の考える清潔さというものがどんなものなのかをうかがわせるエピソードがある。ある時、利休は息子の少庵(しょうあん)が露地を掃いて水をうっているのを眺めていたが、少庵が作業を終えると「まだ十分ではない」と言って、もう一度やるよう命じた。そこで少庵はまた一時間ほどもやり直して、すっかり疲れ果て、こう利休に言った。
「父上、これ以上はもうすることがありません。飛び石は三度も洗いましたし、石灯籠(いしどうろう)や木立にも十分に水をやりました。苔は青々としていますし、地面に一本の枝も、一枚の葉も落ちてはいません」
すると、利休は「未熟者」と叱りつけた。
「露地というものはそんな風に掃くものではない」
こう言って利休は庭に降り立つと、一本の木をゆすり、庭一面に、秋の錦を切れ切れにしたような金と朱の葉を撒(ま)き散らした。利休が求めたのは単なる清潔ということではなくて、美しく自然らしいということだったのである。
自然の営みを人間の都合で否定するのではなく、その営みとともに美をつくりあげる。これが、茶人に求められる清潔さの心得なのです。
■『NHK100分de名著 岡倉天心 茶の本』より

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