『茶の本』に見る岡倉天心の機知に富んだ英語表現

天心が1898年に創設し、その8年後に茨城県五浦に移転した日本美術院の跡地。
幕末も押し詰まった1862年、横浜に生まれた岡倉天心(おかくら・てんしん)は、6歳から私塾で英語を学び、日本語と同じような母語に近い英語力を身につけた。他の著作と同様に、代表作である『茶の本』も原文は英語で書かれている。天心はその中で、言葉遊びや掛詞(かけことば)、揶揄(やゆ)、逆接を駆使し、機知に富んだ英語表現を使っている。東京女子大学教授の大久保喬樹(おおくぼ・たかき)氏が『茶の本』から、天心の優れた英語表現を象徴する箇所を紹介する。

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天心の機知に富んだ表現のうち、もっとも象徴的なもののひとつとして、「foolishness」というキーワードを紹介したいと思います。天心は、第一章「茶碗に満ちる人の心」の冒頭で、茶道とは何かを次のように語ります。
茶道は、雑然とした日々の暮らしの中に身を置きながら、そこに美を見出し、敬い尊ぶ儀礼である。そこから人は、純粋と調和、たがいに相手を思いやる慈悲心の深さ、社会秩序への畏敬(いけい)の念といったものを教えられる。茶道の本質は、不完全ということの崇拝――物事には完全などということはないということを畏敬の念をもって受け入れ、処することにある。不可能を宿命とする人生のただ中にあって、それでもなにかしら可能なものをなし遂げようとする心やさしい試みが茶道なのである。
 
しかし、そこから天心は調子を一転させ、現代においては東洋と西洋が対立し、互いの無理解ばかりが進み、茶道が持つ意義というものも西洋ではまったく理解されていないという状況を嘆きます。そして、意外な言葉でこの章を結びます。
 
現代世界において、人類の天空は、富と権力を求める巨大な闘争によって粉々にされてしまっている。世界は利己主義と下劣さの暗闇を手探りしている有り様だ。知識は邪心によって買い求められ、善行も効用を計算してなされるのである。東と西は、荒れ狂う大海に投げ込まれた二匹の龍のように、人間性の宝を取り戻そうとむなしくもがいている。再び女媧(じょか・古代中国の神話に登場する女神)があらわれてこのすさまじく荒廃した世界を修理してくれることが必要だ。偉大なアヴァター(この世にあらわれる神の化身)が待ち望まれるのである。
 
それまでの間、一服して、お茶でも啜(すす)ろうではないか。
午後の日差しを浴びて竹林は照り映え、
泉はよろこびに沸き立ち、茶釜からは松風の響きが聞こえてくる。
しばらくの間、はかないものを夢み、
美しくも愚かしいことに思いをめぐらせよう。
天心はここで、帝国主義が横行し、むきだしの欲望と争いに明け暮れる現代世界の荒廃したありさまを嘆き、こうした混乱を収拾する希望を壮大な古代神話に託して述べたかと思うと、最後は一転して、ささやかな日々の暮らしの中の情景に読者を導きます。
まさに転調の妙が冴えわたる演出ですが、それ以上に注目されるのが、最後の一行にある「美しくも愚かしいこと」という表現です。原文の英語は「beautiful foolishness of things」。この「foolishness」という言葉は、常識的には否定的な意味しか持たない言葉です。特に英語ではネガティブな意味が強いもの。ところが、ここではそれが、反語的に「俗世間の価値を超えた風流」という意味合いで「beautiful」という形容までつけられて用いられているのです。実に意表を突く発想だと言えます。
このユニークな語の用い方は、禅における「愚」や「大愚」という語の使い方をふまえたものにほかなりません。世俗の功利的な価値観から見れば役立たずでありながら、そうであればこそ、逆に功利的な尺度ではとらえることのできないような広大無辺な精神的価値、それが愚です。つまり、愚かさというものこそが、すべての智の可能性を含んでいる。いろいろな知識で自分を満たしてしまうのではなく、自分をからっぽにしてこそ、そこに世界の真理を読み込んでいけるというわけです。
これこそは天心の思想の核となるものですが、それをここでは、壮大な女媧神話と対峙するようにさりげなく提示してみせています。世界はまったく絶望的な状況にあるが、そこから一歩退いて、一杯のお茶を啜ろう。それは愚かしいことのように見えるかもしれないが、その中にこそ真理が宿っているのだ、その境地をほほえんで受け入れよう、そう天心は言っているのです。
「それまでの間」から始まる最後の詩のような一節は、原文の英語でも紹介しておきましょう。
Meanwhile, let us have a sip of tea. The afternoon glow is brightening the bamboos, the fountains are bubbling with delight, the soughing of the pines is heard in our kettle. Let us dream of evanescence, and linger in the beautiful foolishness of things.
■『NHK100分de名著 岡倉天心 茶の本』より

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