「本当の親子やったらええのになぁ」― 優しい父親のようだった藤内金吾八段

内藤國雄九段(右)と藤内金吾八段 写真:河井邦彦
藤内金吾(ふじうち・きんご)八段は阪田三吉(さかた・さんきち)名人・王将の弟子。阪田一門の再興を願って、弟子の育成に力を注ぐ。内藤國雄(ないとう・くにお)九段にとっては、年の離れた優しい父親のような存在だった。内藤九段が、師匠との懐かしい日々を活写する。

* * *


■師匠が喜ぶのが励みに

師弟物語だが、思い出は山ほどあり整理がつかないほどである。師匠が弟子と指すのは二局。入門したときの一局と、諦めて故郷に帰るお別れのときの一局という話。いかにも勝負の世界の厳しさを感じさせるが、現実はさまざま。単に名ばかりのものから、密接なものまでいろいろある。
私の場合は、年齢が離れた優しい父親的。奨励会のころは特にそうであった。私が勝って帰ると、早速その棋譜を並べさせる。快勝した将棋だと、「犬がタオルをくわえて振り回すようなことをしよんなあ」と言って上機嫌に。師匠が大いに喜んでくれるのが何よりの励みになった。
他の師匠にはあまりないのだが、うちの師匠はよく対局場にやってきた。そして他の奨励会員に愛想を振りまき、時には菓子を配ったりする。「内藤をよろしく」といった意味合いなのだろうが、私は恥ずかしかった。そんなことが通じる甘い世界ではない。皆必死である。
それは私が形勢を損なって、もう勝負を諦めかけたときであった。いつもは様子をちらと見て帰っていくのに、その日は廊下から立ったままじっと私の盤面を見つめて動かない。嫌だなぁと思っていたが、師匠の姿からふと感じるものがあって座り直した。
負けだと思っていた局面に勝負手が残っていたのだ。気付いたおかげで、私はこの勝負を拾った。師匠は私が座り直したとき、以心伝心なったと見て立ち去った。厳しく言えば、これは助言に当たるかもしれない。だから内緒(ないしょ)の話にしておいてほしい。

■祝杯を楽しみに

師匠は大の愛酒家で、ひそかに楽しみにしていることがあった。それは私が一人前の棋士、つまり四段になったとき、ともに祝杯を挙げること。ところが間際に来て、1年半足止めを食う。理由の一つは突然昇段の規定が変わったこと。そのため対局なしのブランクの期間が生じてしまった。
前年に四段が多数出たので、それを制限するために予備クラスを設けたのである。これは昇段を半年に1名、年に2名にするという極めて厳しい制度。プロ棋士になる最大の難関で、多くの若者が突破できず涙を飲んで去っていくのである。
この新しい制度で私は10勝2敗の成績を上げたが、次点となって昇段を逸する。一緒に飲みたくてじりじりしていた師は我慢できなくなったのだろう。昇段をかけた対局のため上京する前々日に、壮行会と称して酒を飲んだ。前々日にしたのは、二日酔いになると丸一日頭がカラッポで働かなくなる。が、その翌日は頭が晴れて絶好調になるのだという“藤内理論”からであった。
そのころは酒を飲みたいとは少しも思っていなかった。ただ師匠の気持ちが痛いほど分かっていたのでつきあった。四段になってからよく一緒に飲むようになる。もともと父が愛酒家でその血をひいているせいか、酒になじむのに時間はかからなかった。酒飲みは自分と同じペースで飲んでくれる相手を好むことを知っていたので、調子を合わせた。
酒豪の師匠と同じテンポで飲むので、「将棋は四段やが酒は八段格や」と目を細めた。私を誘うときは抑えるように努めていたが、飲みだすとそうはいかなかった。
「今日は2本ずつにしとこうな」と言っておきながら、飲んでしまうと「4本では縁起が悪い。ラッキーセブンにしとこう。銚子(ちょうし)3本追加!」。次は「きりよく10本にしとこうで」。それが1ダースの12本になったあたりから寂しい気分になるのか、「わしとあんたが本当の親子やったらええのになぁ」と温かい手でよく私の手を握ってくれた。結局20本ほど銚子を空けてご帰還となる。
■『NHK将棋講座』2015年1月号より

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