繊細で知的、しかし実行力に欠ける? ハムレットの人物像

1623年刊、最初のシェイクスピア戯曲全集のタイトルページに描かれたシェイクスピア。シェイクスピアその人も謎の多い人物である
1600年頃イギリスで書かれ、400年以上経ったいまも読まれ、世界中で上演され続けているシェイクスピア悲劇の最高峰『ハムレット』。主人公のハムレットには、著名な作家や詩人によってさまざまな解釈が与えられてきた。東京大学大学院教授の河合祥一郎(かわい・しょういちろう)氏が解説する。

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ハムレットと聞いて大抵の人がまず思い浮かべるのは、おそらく繊細で青白い、痩(や)せた青年の姿ではないでしょうか。なかなか実際に行動へと踏み出すことができず、ひとり物憂(ものう)げに思い悩んでいる、アンニュイなイメージ──。
そうしたハムレットのイメージとして一般によく知られているのは、ローレンス・オリヴィエ製作・監督・主演のイギリス映画『ハムレット』(1948)でしょう。この映画の冒頭は象徴的で、「これは決断できない男の悲劇である」という、原作にはない、オリヴィエ自身の加えたナレーションから始まります。多くの人はこの有名な映画を見て、「ハムレットといえば決断できない男だよね」という誤解を最初から植え付けられてしまいます。ハムレットはなぜいつまでも、父の仇である王クローディアスを殺すという復讐を遅らせるのか? それは、彼自身の優柔不断な性格によるものである──そんな誤解を生むオリヴィエ版ハムレットは、いわばハムレットの“定型”となってしまいました。
このようなイメージは、18世紀末から19世紀前半に活躍したロマン派に由来します。オリヴィエのハムレットも、完全にロマン派の解釈に則(のっと)っています。
ドイツの文豪ゲーテは、小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(1796)のなかで、ハムレットは「可憐な花を植えるための高価な壺」で、そこに花でなく樫の木が植えられてしまったために、壺が砕けてしまったのだ、という有名な比喩を用いました。つまり、ハムレットは復讐というとても果たせない大仕事を課せられてしまった繊細な青年である、というイメージを強く打ち出し、ロマン派に大きな影響を与えたのです。
実はゲーテの小説では、芝居でハムレット役を演じようとする主人公ヴィルヘルムは、戯曲を研究していくにつれ、ハムレットの体つきを「太っている」ともイメージしているのですが、オフィーリア役を演じる女性が、「それじゃ、ハムレットのイメージがすっかり狂っちゃう」「太ったハムレットなんてやめてちょうだい!」と叫びます。
その後、イギリス・ロマン派の知識人たちも、ゲーテのいう繊細な「壺」を華奢(きゃしゃ)でかぼそい「花瓶」のイメージとして受け取り、やがてそこから心も体も脆弱(ぜいじゃく)な、痩身のハムレット像が現れ、広がっていきます。ロマン派はハムレットを知性の象徴と見なし、その肉体性を消し去って、いわば首から上だけの存在にしてしまうのです。詩人コールリッジが「私にはハムレットのようなところがある」と述べて共感を呼んだように、行動力には欠けているが、知的なインテリというイメージをハムレットに投影したのでしょう。
知性が優れているために、深遠な瞑想(めいそう)にばかり耽(ふけ)ってしまい、行動しなければいけないと思いながらも行動できないでいる。フランス・ロマン派の文豪ヴィクトル・ユゴーもそれを、こんなふうに説明しています──「眠っているときに、追いかけられたり、逃げたりする悪夢を見たことはないだろうか。急ごうとするのだが、膝がこわばったり、腕が重い感じがしたり、手がどうにもしびれたりしてしまって動かないといった悪夢を? そんな悪夢をハムレットは目が覚めたまま経験するのだ」と。
また、19世紀後半のロシア文学においても、内向的で閉塞的なハムレットのイメージは、“余計者(よけいもの)”と呼ばれる無為なキャラクターのタイプに投影されていきます。1860年にツルゲーネフは、猪突猛進に行動する者をドン・キホーテ型、分別はあるが思索に耽り行動しない者をハムレット型と分類しました。ドストエフスキーは、17歳のとき、『ハムレット』に衝撃を受けたと書簡に記していますが、『罪と罰』(1866)の主人公ラスコーリニコフとハムレットの類似もしばしば指摘されるところです。それからまた、チェーホフの戯曲や短篇小説にも、無為な“ハムレット型”の人物がたびたび登場してきます。
青白い虚弱な哲学青年というロマン派のイメージから、ハムレット=マザコン説も生まれてきました。この説もかなりの広がりを見せましたが、それは精神分析の創始者フロイトに端を発します。
フロイトは『夢判断』(1900)のなかで、ハムレットが復讐を遅らせるという逡巡(しゅんじゅん)の謎は、やはりハムレットの性格に起因しているが、それはハムレットが“オイディプス・コンプレックス”の典型だからである、と考えました。オイディプス・コンプレックスとは、ソポクレスのギリシア悲劇『オイディプス王』に由来するもので、父を殺して母と一体になりたいという、少年の潜在的願望のことです。
あれほど母ガートルードに執拗(しつよう)に迫るのも、母と一体になりたいからであり、父殺しを自分の代わりにやってしまった叔父のクローディアスが王になり、母と一体になってしまったことで、自分の立場がなくなってしまった。だから叔父に対して憎悪と嫉妬を覚えるのである。しかし自分に成り代わって願望を実現した叔父を罰することは、すなわち自分自身を罰することになるために、叔父を殺すことができない、というわけです。
これはハムレットの心理に関するフロイト流の、興味深い見方です。しかしハムレットは父への尊敬の念を繰り返し口にしていますし、潜在的願望とはいえ、父を憎悪する感情があったとは、にわかには信じがたいのではないでしょうか。そもそも、作品の謎をおしなべてハムレットという主人公の性格のせいにしてしまうこと自体、はたしてそれでよいのか? ということが問題です。
■『NHK100分de名著 シェイクスピア ハムレット』より

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