『水道橋博士のメルマ旬報』過去の傑作選シリーズ 酒井若菜さんによる〜リリーさんの原稿にかえて〜


 芸人・水道橋博士が編集長を務める、たぶん日本最大のメールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』。
 過去の傑作選企画として、2014年11月『水道橋博士のメルマ旬報』Vol50 「50号だよ、連載陣全員集合!」企画時に、入稿締切ギリギリまで待ったものの、結局、リリー・フランキーさんから原稿が入らなかったとき、緊急で、酒井若菜さんが寄せてくれた代筆原稿を、お届けします。

以下、『水道橋博士のメルマ旬報』Vol50 (2014年11月25日発行)より一部抜粋〜


今回の『50号だよ!全員集合!』企画。
ギリギリまで待ちましたが、
リリーさんの原稿が届きませんでした。
リリーさんには事前には了解して頂いていたのですが......
しかし、これもリリーさんの持ち芸。
このまま、休載、穴開きも仕方ないと思いましたが......。
 
事前にこうなることを予見していた酒井若菜さんが
「もしリリーさんの原稿が落ちたら、私のを使って下さい!」
と、リリーさんへのお手紙風のエッセーを頂いておりました(泣)
 
本来なら、こちらの原稿は未公開のはずだったのですが、
こちらを代打として晴れて「全員集合!」とさせて頂きます。
 
編集長/水道橋博士


『虹色の羽』 
 
リリーさんとの思い出は、ことごとく曖昧だ。
初めて会ったのはいつだっただろう。
ドラマ撮影の合間にリリーさんがわざわざ神奈川県の緑山スタジオまで来てくださって写真を撮っていただいたことがあるが、それが初めてだっただろうか。
いつ連絡先を交換したのだろう。
いや、連絡先を知っていたような気がするだけで、本当は一度も連絡先など交換していなかったのかもしれない。
プライベートで最初に会ったのはいつだったか。
恵比寿の1Kのマンションに住んでいた頃だったから、19歳から21歳の間だということは間違いない。
恵比寿でも何度か呑んだ気がする。
ところがどのお店で呑んだのか、どんなメンバーと呑んだのか、まったく憶えていない。
一度、恵比寿の線路沿いで、リリーさんと誰かと私の三人で、リリーさんかその誰かの車に乗って何処かに行った。
誰か、というのは、男の人だったことは憶えているのだが、そしてミュージシャンだったような気がするのだが、どうしても思い出せない。
車は薄緑のビートルだったような気がするが、白のミニクーパーだったような気もしないではない。
呑んだ帰りに送ってくれる、というようなシチュエーションだったような気がするが、私はその時恵比寿在住でそこからは徒歩五分もかからないで帰れるわけだから、わざわざ後部座席の荷物を退かしてスペースを確保してまで送ってもらったとは思えない。
ただ空は白んでいた。
一体私はあの朝、リリーさんにどこに連れて行かれたのだろう。
 
はっきりと憶えている呑んだ記憶は、一つしかない。
ピエール瀧さんに、世田谷公園だか駒沢公園だかの屋台で呑んでるからおいでよ、と電話をもらったので、行った。
22時くらいだったと思う。
屋台の外側の椅子に瀧さんが座っていた。
内側にリリーさんが立っていた。
リリーさんは、屋台を経営していた。
0時くらいだっただろうか。
お手洗いから戻ってきた瀧さんが、「そこにきっもちわりい虫がいる」と私たちを呼んだ。
見たことのないグロテスクな虫が、公園の土の上をのそのそと這い蹲って歩いていた。
リリーさんと瀧さんと私は、三人で酒の入ったグラスを片手に、虫の動向を観察した。
2時間くらいかけて、その虫は一つの木をよじ登っていった。
ある程度の高さまで登ると、虫は居所を定めたような感じでジーッとしていた。
リリーさんか瀧さんが「これ、蝉じゃない?」と言った。
蝉は、覆っていた透明の殻からのそのそと出てきて、やがて虹色の羽を羽ばたかせて飛んでいった。
新鮮な抜け殻は透明で、新鮮な羽は虹色なんだということを初めて知って、三人で感動した。
おーー!と言って拍手した。
時計を見ると、朝9時になっていた。
リリーフランキー、ピエール瀧、酒井若菜、この不思議な組み合わせの三人が、9時間もの間、公園で蝉を観察していたのだ。
あれは一体なんの時間だったんだろう。
貴重な経験だったので、面白かったが...。
 
その後、リリーさんと共演したような気もするし、してないような気もする。
2,3年前、女優Fと女優Mと三人で会った。
二人はそのときが初対面で、私を介してのお茶会だった。
二人の共通する話題を探したら、リリーさんだった。
二人はリリーさんの話をしていた。
何故リリーさんは時間通りに仕事に来ないのか。
遅れてきたリリーさんの顔を見るとどうして怒れなくなってしまうのか。
そんな話をしていた。
私とリリーさんはその頃にはすっかり他人になっていたので、私は知らない人の話を聞いている感覚だった。
今お会いしても、蝉の思い出を仲良く話せる気が全くしない。
私の中で、リリーさんはマボロシなのだ。
 
遡ること15年ほど前。
私がグラビアアイドルばりばりだった頃。
ある雑誌のコラムを目にした。
"昨年、コンビニの雑誌コーナーを見ていて最も気になった存在が彼女だった"
そんな出だしだったと記憶している。
タイプじゃないがやけに気になる、といったようなことが書いてあったと思う。
次第に意識して目にとめるようになったが、彼女を見ていると、心配になった、と。
本来は山奥の野に咲いておくべき大輪の花を、無理矢理摘み取って都会の花瓶に挿しているような、そんな気持ちになる。と。
当時の私は、笑顔の印象が強かったはずだ。
しかし実は、他のグラビアアイドルに比べると、圧倒的に笑顔の写真が少なかった。
のちに知り合う博士さんなどはよくご存じかと思うが、10代の時の私の暗さは並じゃなかった。
お会いした方は知っていても、グラビアの写真だけを見てそれをキャッチしていた人が、他に誰か一人でもいただろうか。
 
私はしばらくの間、リリーさんが私について書いてくださったそのコラムを切り抜いて、手帳に挟んで持ち歩いていた。
オーディションに落ちた帰り道、女優に無視された帰りの終電の中、エキストラの仕事で助監督に怒鳴られ落ち込み、座り込んで動けなくなった上野駅のホーム、何度もその文章を読んだ。
今でもその切り抜きは実家に保存してある。
 
嬉しかったんだ。
 
よもやのちに蝉の観察を共にすることになるとは、そのときは想像もできなかった。
世の中分からないものだ。
どれもこれも10年以上前の記憶だから、リリーさんは何一つ憶えていらっしゃらないだろう。
 
 
幸せな思い出は、思い出のままに取っておいたほうがよいという。
昔住んでいた場所。
昔大好物だった味。
昔好きだった人。
記憶力に想像力を食べさせて、立派に肥えた思い出に、リアルは勝てない、ということであろう。
しかし、リリーさんの連載ページに書かせて頂く以上、話を盛り過ぎていたらそれはやはり良くない。
ひとまずここまで書き終えたところで、母に電話をしてみた。
「あのさ、昔さ、リリーさんが雑誌に私のことを書いてくれ」
「憶えてる!あれは嬉しかった!」
母は私の質問が終わる前に、そう答えた。
「あ、ほんと?よく憶えてるね」
「憶えてるよ、芸能界にいることが不安だ、とか、野に咲く大輪の花が、とか、あー分かる人は分かるんだなぁ、って思ったもん!」
ずいぶん娘びいきな母である。
私は、そのコラムが載っていたのはTV誌か何かだったかな、くらいの印象だったが、母は、ダ・カーポだと言い切る。
そんなにはっきり憶えているなんて、よっぽど母も嬉しかったんだな、と思った。
翌日、母からメールが届いた。
リリーさんが書いてくれたコラムを、母が「写真じゃ読めないかもしれないから」と、わざわざ書き写してくれたものだった。
ガラケーからスマホに代えて間もない母が茶の間でコタツに入り、切り抜きとスマホを交互に見比べながら一文字ずつ文字を打っている小さな背中を想像したら、うっかり泣きそうになった。
以下は、母が送ってくれたリリーさんの文章だ。
 

2000年1月19日《[貴女を思うとき私の心は揺れ動く]
 
私が昨年知ったルーキーの中で一番気になるのが彼女だった。
気になる。この言葉が最も的確に、私の感情を表した表現だろう。
「好き」とか「いい」とかいうよりも、彼女から受ける印象は私を不安に陥らせる"何か"だった。彼女のグラビアを見ていると、なんだか"そわそわ"する。
 
他のグラビア系アイドルと違う"何か"が、私をコンビニの書棚の前で立ち止まらせた。
深みのある顔立ちで、あどけなさと妖しさを持ち合わせた表情。そして、豊乳に恵まれた彼女は今、グラビアのほとんどをその胸の強調されたショットで飾っている。しかし、私は、その彼女の胸を性的な眼で見ることに何か抵抗を感じることがある。なぜか、見てはいけない気にさせるのだ。
別のグラビアアイドル、俗な言い方をすれば巨乳アイドルに対しては抱かない感覚だ。なぜなら、その彼女たちは、その突出した肉体の武器を攻撃的に、扇状的に、見せる意志がある。そこには、好戦的で射幸した精神が垣間見えるからだ。
だが、彼女の肉体は豊満であっても攻撃的ではない。むしろ、心許ないほど受け身で、無防備な肉体である。
それが、私を不安にさせる。
おせっかいな物言いをすると"心配"になる。
 
どこか空気の澄んだ山林の水のほとりで、おおらかに咲いているべき大輪の花を、無理矢理摘み取って、都会の花瓶にさしたような気がしてしまうのだ。
そんな気にさせるのが、彼女の魅力なのだろう。
そういう男の感傷的に愛情とも倒錯ともいえるものは、皆がどこかに隠して、また求めている、ある理想のカタチである。
酒井若菜という彼女のことを語る人はみんなこういう。
「顔と胸のアンバランスさがいい」。つまり、あどけない彼女の顔に、発達した大人の、セクシーな胸があることに良さがあると。
しかし、私はそうは思わない。
私は逆に、彼女の顔に対して、すごく合った胸であり体型であると思う。
あの、あどけない表情に、あの無防備なからだ。全体からにじみ出るドラマと柔らかさは、とてもコンセプチュアルである。彼女が今、注目されているのはその胸のせいではない。それを軸として漂わす、彼女自身の内面の味わい、表情のきらめきにある。》
 
 
 
 
母恐るべし。
本当にダ・カーポだった。
写真をご覧になって頂ければ分かるかもしれないが(分からないか)、これはコピーである。
切り抜きは私が持っていたので、きっと母は、それをコピーしてスクラップしていたのだ。
左上に、母の字で発売日まで記載してある。
胸がいっぱいになった。
 
今でこそグラビアアイドルが女優業に進出するのは普通だが、当時は、グラビアアイドルは絶対に女優にはなれない、という定説があった。
グラビアアイドルからタレントとしてしっかり名を上げて、それから、なんとか女優、そんな程度だった。
タレントとしてしっかり名を上げられなければ、グラビアアイドルは二年が寿命。
そう言われていたが、私にタレントとして名を上げられるわけがなかった。
女優になるより、タレントになるほうがはるかに壁が高かった。
無口にもほどがあった。暗いにもほどがあった。真面目にもほどがあった。つまらない小娘だった。
絶対に孵化しないタレントの卵だった。
その頃それを逆手にとって面白がってくれていた唯一人の人がテリー伊藤さんだったわけだが(ブログ"心がおぼつかない夜に"参照。まさにその時期)。
消耗品。
その響きに怯えていた。
そんな私の不安を、会ったこともないリリーさんが"共有"してくれていたことに、当時安心していた小娘なのであった。
リリー&テリー。
やっぱり目の付け所がへんだ。
ぶっ飛んでらっしゃるなと、我を通して実感する。
 
思い出を見にいくのも、時にはいいかもしれないね。
 
 
私は先の文章で、「他に誰か一人でもいただろうか」と書いたが、リリーさんの文章を読むと、男はみんな見透かしてる、といった印象を受ける。
もしそれが事実なら、もし何人かでもそう見てくれていた人がいたのなら、私は過去の暗く無口でタレント力が欠如していた自分自身を責めず、労ってやれる気がする。
 
私は小娘だ。
30代半ばだが、小娘でいたい。少なくともこのメルマ旬報の中では。
小娘だから、10年以上前の自分のコラムを勝手に晒されたら、私なら死にたくなる。
リリーさんに申し訳ない。
が、心が弱い割には図々しい私のこと、この期に及んで「博士の悪童日記」を遡って読み漁り、探り当てたのである。
 
2000年4月25日
"お台場、テレコムセンターへ。
 MXテレビ「Tokyo Boy」2本撮り。~中略~今回からレギュラーに酒井若菜ちゃん、"
 
と書いてあった。
これ以前に博士さんとお会いしたことがなければ、の話だが、2000年1月19日発売のリリーさんのコラムからわずか3ヶ月後に、博士さんと出逢ったということになる。
一応小娘も、芸歴は18年だか19年だかになる。
その中での3ヶ月というのは、なかなか稀に見るニアミス具合ではないだろうか。
ということはだぞ、博士さんに諸々をなすりつけたあの日(詳しくはブログ「小娘物語。」参照)、私は帰り道にこのリリーさんのコラムを、電車で読みながら栃木に帰ったのではないか。
 
 
そう考えると、博士さんのメルマガでリリーさんの代筆をしている今が、傷つき電車で泣いた過去が、可笑しくて仕方ない。
 
 
ラストに。
博士の悪童日記、2002年8月10日、
"本日で、若菜ちゃん、レギュラー終了とのこと"
と記載されている。
ということは、二年四ヵ月も博士さんと仕事していたのか...。
一年くらいだと思っていたが、思ったよりも長かったんだな。
この間に、上京し、蝉を観察し、女優へ移行し、と盛りだくさんの変化が私にはあったようだ。
時期的に考えて、私はこの番組を卒業後、間も無く天狗への道まっしぐらになる。
もしあの時レギュラー番組を降りなかったら...。
得したことも多かったかもしれない。
ただ、こうしてまた博士さんと再会することもなかったと思う。
番組を降りて、天狗になって、挫折して、死にかけて、いつか見たあの蝉のように這い蹲って、よじ登ったものの、居所を定められない自分に執筆という場所を作り、それをまた博士さんが見つけてくれて、見守ってくれる。
そういう幸福はきっと得られなかった。
なら、私は自分の人生に後悔できないや。へへ
私には銀色の羽を羽ばたかせて鮮やかに飛んでいくことはできないが、ジタバタしている姿をメルマガに書き、それを博士さんが見ていてくれるならいっか、と思う。
それは、小娘の自慢なんだ。へへ
 
しかしリリーさんという人は。
ただ生きる、それだけで、私に過去を振り返るきっかけを与えてしまう。
リリーさんが原稿を落としてくれなければ、私は母の優しさを一つ見落としたままだったし、あのコラムに再会できなかったし、悪童日記を読み漁って博士さんの文章の中に生きていた過去の自分を発見することもなかった。
 
リリーさん。
貴方を想うとき私はあの蝉を思い出す。
 
あの蝉は「見て、この美しい羽!」とも「見て、飛ぶよ!」とは言わなかった。
周りが勝手に見たがっただけだ。
そうして勝手に飛んでいった。
立つ蝉あとに殻を残して。
 
やはり私はあの蝉のように人を魅了することはできない。
だけど、リリーさんがかつて書いてくださったように、私が都会の花瓶に挿された花なら、枯れたり萎れたりしている場合じゃないと思わされる。
花瓶の水を替えてくれる人が私にはいる。
届きますか?
博士さんです。
お母さんです。
兄さんたちです。
妹たちです。
友人たちです。
仕事仲間たちです。
ファンたちです。
まだ見ぬ人たちです。
私は時々、山林の水のほとりに帰りたくなります。
その元気もなくて、ドライフラワーになってしまいたくなったりします。
「若菜ちゃんって生きずらそう」
これからは、そう言われた際はこう答えようと思います。
「当たり前じゃん、切り花なんだから」
開き直って、えばった感じで堂々と、答えてしまおうと思います。
芸能は根無し草、いつかそう聞きましたから。
それが芸能をやるものの宿命だと、思うのです。
 
 
リリーさん。
貴方を想うとき、私はあの蝉を思い出すんです。
 
リリーさんは、本当に存在しているのだろうか。
あの日、地面を這い蹲って木によじ登り、虹色の羽を羽ばたかせて飛んでいったのは、蝉ではなくてリリーさんだったのかもしれない。
少なくとも、ただ生きる、それだけでも存分に我々を魅了し、捉えて離さないその姿は、あの蝉と、本当によく似ている。
 
 
代筆 酒井若菜
お礼に代えて

sakaiwakan.jpg

『水道橋博士のメルマ旬報』
2016年4月11日(月)朝10時~終了日時4月25日(月)朝10時の期間中、「春のおためし無料キャンペーン」実施中。
詳しくは、以下リンク先まで。


https://bookstand.webdoku.jp/melma_box/page.php?k=s_hakase

« 前のページ | 次のページ »

BOOK STANDプレミアム