これは直訴モノ あの田中正造も"誘拐結婚"だった?

男が女を盗む話―紫の上は「幸せ」だったのか (中公新書)
『男が女を盗む話―紫の上は「幸せ」だったのか (中公新書)』
立石 和弘
中央公論新社
907円(税込)
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 ある日突然、見知らぬ男に誘拐されて結婚を強要される......女性の人生を一瞬にして狂わせてしまう"誘拐結婚" という風習をご存知でしょうか?

 今年2014年には、今もなお"誘拐結婚" が行なわれているキルギス共和国で長期間の取材を敢行したフォトジャーナリスト・林典子さんが、全米報道写真家協会のフォトジャーナリズム大賞を受賞したことで、話題となりました。

 林さんの写真集『キルギスの誘拐結婚』(日経ナショナルジオグラフィック社)及び、最新作『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳』(岩波書店刊)では、車に乗せられて泣き叫んで抵抗する女性や、誘拐した男に強姦されて自殺した女子大生の母親が、娘の墓の前で泣く姿など、伝統というにはあまりにも残酷すぎる"誘拐結婚"の実態を克明に捉えています。

 中央アジアの遠い異国で行なわれている"誘拐結婚"は、自分事として感じるのは難しいかもしれませんが、似たような慣習が、実はかつての日本にも存在していました。その昔、女性をさらって来て強引に結婚させるという婚姻形態が日本各地に見られ、"嫁盗み"や"嫁担ぎ"と呼んでいたという記録を、日本の近代民俗学の父・柳田國男も残しています。それもそう遠い昔のことではなく、近現代まで実際に行なわれていたのです。

 例えば、足尾鉱毒事件を明治天皇に直訴した義民として称えられている田中正造も、妻のカツとは"嫁盗み"で結ばれたと伝わっています。カツは裁縫の習い事から帰る途中、待ち伏せしていた正造の背負い籠に入れられて、正造宅に連れて来られてしまったのです。当然、カツの生家では大騒ぎになり、娘を取り戻しにやって来ましたが、正造は風呂桶にカツを隠し、帰さなかったのだとか(随想舎刊『田中正造物語』より)。

 とはいえ以前から2人は顔見知り。カツも正造を好きだったので実家には帰らずに嫁として居続けたとも言われ、"ほほえましいエピソード"扱いされている挿話です。ただ、このとき正造は23歳、カツは15歳。現代で言えばカツは中高生の年齢です。時代背景が違うとはいえ、ちょっと考えられない話です。

 本書『男が女を盗む話―紫の上は「幸せ」だったのか』では、日本の代表的な物語文学『源氏物語』や『伊勢物語』において、これまで姫君を盗む男側からロマンチックに描かれがちだった"嫁盗み"について、盗まれた女性側の目線で捉え直しています。著者の立石和弘さんは、"第二章『大和物語』の嫁盗み"の章で「人は過酷な環境の中で、生きるために、自身を暴力によっておとしめた相手にさえ愛情を抱くことがある。そうした残酷をこの物語は描いている」としています。

 盗み出された姫君にしてみれば、その後の人生を生き抜くためには、精神的にも経済的にも、自分を拉致してきた男の庇護を仰ぐ以外の道はありませんでした。暴力的な手段で社会から切り離されてしまった以上、それからは男の愛情を頼りに生きて行くほかなかったのです。

 誰もが知っている『源氏物語』のヒロイン・紫の上もまた、少女の頃に、主人公・光源氏が誘拐・拉致してきた姫君です。強引に連れ出されて、最愛の妻となるべく邸宅に据えられた紫の上。立石さんは、自分の意思を殺して、光源氏の理想の女性像を生きるしかなかった紫の上の人生は、本当に幸せだったと言えるでしょうか、と問いかけます。

 前述の柳田國男は「とにかく女を此様な心細い状態に、置かねばならぬ様な風習は廃れて行くのが当り前である」(岩波書店刊『婚姻の話』より)と述べています。事実、現代の日本ではこうした風習は根絶されています。

 ただ、日本以外の国でこのような風習がまだ残っている現実は無視できません。

 女性の同意無しに行なわれる"誘拐結婚"や"嫁盗み"は「男から暴力を受け、拉致、監禁されても、やがて女は男の愛情を受け入れ、愛するようになる」というのは、まぎれもなく男の幻想。世界中から、こうした風習がなくなる日はいつやって来るのでしょうか?


【関連リンク】
『キルギスの誘拐結婚』
http://nationalgeographic.jp/nng/sp/kyrgyz/

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