イノベーションが労働者の「支配」を強化する
資本主義のもとで、資本家は生産力を上げることに腐心します。その目的は、商品をより安く生産し、市場で勝ち残ること。商品が安くなれば労働者の賃金も下がります。1日に生産される価値の合計は変わらないのに、労働力の価値が下がることで、資本家の儲けが増える。マルクスはこれを「相対的剰余価値」と呼びました。
しかし、生産力を上げる技術革新、つまりイノベーションに資本家が求めたものは、「価値」の増殖ばかりではありませんでした。経済思想家、大阪市立大学准教授の斎藤幸平(さいとう・こうへい)さんが、生産力の増大についてマルクスが最も問題視していたという点を解説します。
* * *
彼らの、もう一つの狙い──それは労働者に対する「支配」の強化。これこそが、資本主義がもたらす生産力の増大について、マルクスが最も問題視していた点なのです。
商品をできるだけ安く作るべく、資本家は労働者を“効率的”に働かせようとします。その際、効率性は、労働者にとっての“快適さ”を意味しないということが重要です。
資本主義のもとで求められたのは、労働者を重労働や複雑な仕事から解放する新技術ではなく、彼らがサボらず、文句も言わずに、指示通り働いてくれるようにするためのイノベーション、つまり、労働者を効率的に支配し、管理するための技術なのです。そんな「働かせ方改革」が実施されていくのです。
実際、生産力が上がれば上がるほど、労働者はラクになるどころか、資本に「包摂」されて自律性を失い資本の奴隷になると、マルクスは指摘しています。
一体なぜ、生産力の向上が資本による支配の強化につながるのか。ここで思い出していただきたいのが、過去に紹介した「物質代謝」の話です。そこでは、人間が「意識的かつ合目的的な」労働を介して自然との物質代謝を営んでいる、という話をしました。
この意識的かつ合目的的な労働のプロセスは、大きく二つに分けることができます。それは「構想」と「実行」です(「構想」と「実行」という整理は、マルクス本人ではなく、ハリー・ブレイヴァマンという優れたマルクス研究者が『労働と独占資本』という本で用いたものです)。
例えば、「温かいものが食べたい」「そのために煮炊きするための道具が必要だ」と考えたとしましょう。すると人間は、どんな素材で、どのような形の物を作ればいいか、耐熱性や耐久性を持たせるにはどうしたらよいかと、あれこれ知恵を絞る。これが「構想」です。その結果、土鍋のようなものを作ればいいとなったとしましょう。
この構想をもとに、次は、実際に手を動かして土鍋を作ります。丈夫な土鍋を作るために、いい土を掘り出し、水を加えてこね、成形して焼成する。こうした一連の労働を通じて構想を実現する過程が「実行」です。
人間が頭で考える構想の作業を、マルクスは「精神的労働」と呼んでいます。実行は、自身の身体を使った「肉体的労働」です。本来、人間の労働は、構想と実行、精神的労働と肉体的労働が統一されたものでした。
ところが、資本主義のもとで生産力が高まると、その過程で構想と実行が、あるいは精神的労働と肉体的労働が分断される、とマルクスはいいます。「構想」は特定の資本家や、資本家に雇われた現場監督が独占し、労働者は「実行」のみを担うようになるというわけです。
構想と実行が統一されていた労働として、イメージしやすいのは土鍋作りなどの職人仕事でしょう。職人は、長年の修練によって身につけた技術や知識、そこで培われた洞察力や判断力を総動員して、自分が作ろうと思った(=構想した)物を、自分の手で作り出す(=実行する)ことができます。その際、熟練の土鍋職人なら、炎の色や揺らぎ具合を見ただけで窯(かま)の温度がわかり、その日の気温や湿度、土の状態から、最適な焼成温度や焼成時間を判断できる。こうしたノウハウは明文化されておらず、お金で買えるものでもありません。資本主義の勃興期には、まだこうした職人や熟練工が大勢いて、欧米ではギルドやツンフトと呼ばれる同職組合を作っていました。
ギルドには、様々な掟(おきて)があります。何年修業しなければ親方になれないとか、組合員が独立して工房を構える場合の弟子は最大何人までとか。さらに、利益の割合も決められ、広告も禁止されていました。規則を破った者には、厳しい罰が待っていました。
現代人の目から見れば、非常に窮屈に映りますが、それは、職人が頑固で偏狭だからではなく、生産の目的が利益を上げることではなく、みなの生活を保証するために、一定の秩序を維持することだったからです。彼らは、自分たちの「構想」力と「実行」力を自主管理することで、無用な競争を防ぎ、自分たちの仕事と労働環境を守っていたのです。
しかし、こうした状況が、資本家にとっては不利・不都合なのは、すぐにわかるでしょう。土鍋を三日で100個焼いてくれと命令しても、「無理だ、一週間はかかる」とはねつけられたり、「模様は入れなくていいから、安く作ってくれ」といっても、「俺には俺のやり方がある」と応じてもらえなかったりする。彼らの機嫌を損ねたら生産してもらえないので、資本家は引き下がるしかありません。これは、構想と実行が統一された労働者の技能や洞察に、資本が依存している状態です。
先述の通り、資本家は、短時間で、できるだけたくさん生産して剰余価値を増やしたい。そのために、労働者もどんどん増やしたい。競争は差し迫っているので、何年も修業しなければ働き手になれないようでは困ります。
だから、資本主義はギルドを解体していくのですが、その際に、重要だったのが、労働者の「構想」と「実行」の分離なのです。つまり、資本にとって都合がいいように、労働の技術的条件そのものをどんどん再編することで、剰余価値生産に最適な生産様式を自らの手で確立していったのです。
■『NHK100分de名著 カール・マルクス 資本論』より
しかし、生産力を上げる技術革新、つまりイノベーションに資本家が求めたものは、「価値」の増殖ばかりではありませんでした。経済思想家、大阪市立大学准教授の斎藤幸平(さいとう・こうへい)さんが、生産力の増大についてマルクスが最も問題視していたという点を解説します。
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彼らの、もう一つの狙い──それは労働者に対する「支配」の強化。これこそが、資本主義がもたらす生産力の増大について、マルクスが最も問題視していた点なのです。
商品をできるだけ安く作るべく、資本家は労働者を“効率的”に働かせようとします。その際、効率性は、労働者にとっての“快適さ”を意味しないということが重要です。
資本主義のもとで求められたのは、労働者を重労働や複雑な仕事から解放する新技術ではなく、彼らがサボらず、文句も言わずに、指示通り働いてくれるようにするためのイノベーション、つまり、労働者を効率的に支配し、管理するための技術なのです。そんな「働かせ方改革」が実施されていくのです。
実際、生産力が上がれば上がるほど、労働者はラクになるどころか、資本に「包摂」されて自律性を失い資本の奴隷になると、マルクスは指摘しています。
一体なぜ、生産力の向上が資本による支配の強化につながるのか。ここで思い出していただきたいのが、過去に紹介した「物質代謝」の話です。そこでは、人間が「意識的かつ合目的的な」労働を介して自然との物質代謝を営んでいる、という話をしました。
この意識的かつ合目的的な労働のプロセスは、大きく二つに分けることができます。それは「構想」と「実行」です(「構想」と「実行」という整理は、マルクス本人ではなく、ハリー・ブレイヴァマンという優れたマルクス研究者が『労働と独占資本』という本で用いたものです)。
例えば、「温かいものが食べたい」「そのために煮炊きするための道具が必要だ」と考えたとしましょう。すると人間は、どんな素材で、どのような形の物を作ればいいか、耐熱性や耐久性を持たせるにはどうしたらよいかと、あれこれ知恵を絞る。これが「構想」です。その結果、土鍋のようなものを作ればいいとなったとしましょう。
この構想をもとに、次は、実際に手を動かして土鍋を作ります。丈夫な土鍋を作るために、いい土を掘り出し、水を加えてこね、成形して焼成する。こうした一連の労働を通じて構想を実現する過程が「実行」です。
人間が頭で考える構想の作業を、マルクスは「精神的労働」と呼んでいます。実行は、自身の身体を使った「肉体的労働」です。本来、人間の労働は、構想と実行、精神的労働と肉体的労働が統一されたものでした。
ところが、資本主義のもとで生産力が高まると、その過程で構想と実行が、あるいは精神的労働と肉体的労働が分断される、とマルクスはいいます。「構想」は特定の資本家や、資本家に雇われた現場監督が独占し、労働者は「実行」のみを担うようになるというわけです。
構想と実行が統一されていた労働として、イメージしやすいのは土鍋作りなどの職人仕事でしょう。職人は、長年の修練によって身につけた技術や知識、そこで培われた洞察力や判断力を総動員して、自分が作ろうと思った(=構想した)物を、自分の手で作り出す(=実行する)ことができます。その際、熟練の土鍋職人なら、炎の色や揺らぎ具合を見ただけで窯(かま)の温度がわかり、その日の気温や湿度、土の状態から、最適な焼成温度や焼成時間を判断できる。こうしたノウハウは明文化されておらず、お金で買えるものでもありません。資本主義の勃興期には、まだこうした職人や熟練工が大勢いて、欧米ではギルドやツンフトと呼ばれる同職組合を作っていました。
ギルドには、様々な掟(おきて)があります。何年修業しなければ親方になれないとか、組合員が独立して工房を構える場合の弟子は最大何人までとか。さらに、利益の割合も決められ、広告も禁止されていました。規則を破った者には、厳しい罰が待っていました。
現代人の目から見れば、非常に窮屈に映りますが、それは、職人が頑固で偏狭だからではなく、生産の目的が利益を上げることではなく、みなの生活を保証するために、一定の秩序を維持することだったからです。彼らは、自分たちの「構想」力と「実行」力を自主管理することで、無用な競争を防ぎ、自分たちの仕事と労働環境を守っていたのです。
しかし、こうした状況が、資本家にとっては不利・不都合なのは、すぐにわかるでしょう。土鍋を三日で100個焼いてくれと命令しても、「無理だ、一週間はかかる」とはねつけられたり、「模様は入れなくていいから、安く作ってくれ」といっても、「俺には俺のやり方がある」と応じてもらえなかったりする。彼らの機嫌を損ねたら生産してもらえないので、資本家は引き下がるしかありません。これは、構想と実行が統一された労働者の技能や洞察に、資本が依存している状態です。
先述の通り、資本家は、短時間で、できるだけたくさん生産して剰余価値を増やしたい。そのために、労働者もどんどん増やしたい。競争は差し迫っているので、何年も修業しなければ働き手になれないようでは困ります。
だから、資本主義はギルドを解体していくのですが、その際に、重要だったのが、労働者の「構想」と「実行」の分離なのです。つまり、資本にとって都合がいいように、労働の技術的条件そのものをどんどん再編することで、剰余価値生産に最適な生産様式を自らの手で確立していったのです。
■『NHK100分de名著 カール・マルクス 資本論』より
- 『カール・マルクス『資本論』 2021年12月 (NHK100分de名著)』
- 斎藤 幸平
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