「車」をうたう

「未来」選者の佐伯裕子(さえき・ゆうこ)さんが講師を務める講座「日々の居場所」。9月号では、「車」をうたった短歌を紹介します。

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今月のテーマは「車(タクシー含)」ですが、私は運転ができません。車に乗るときは、窓から空を仰いだり、流れる町を見送ったり、ラジオを聞いたり、話をしたり。移動の最中に自分の好きなことをするので、二重の時間を生きる気分になります。運転する人は、神経を集中しなければならないから大変でしょう。その代わり私は、高速道を一人で疾駆するドライブの爽快感を知りません。車を運転する人としない人では、沿道の風景の見え方がちがいます。運転席の視野、助手席や後部座席の視野からは何が見え、何が感じられるのでしょう。車は個室であり、「移動する居場所」といえます。車の日々を、短歌はどのように表しているのでしょう。
高速路さらに加速し走るべく路面をつかめフロントタイヤ

春日井 建(かすがい・けん)『友の書』



車をうたった短歌では、もっともスピード感のある一首といえます。古風な表現の「べく」は、助動詞「べし」の連用形です。当然のなりゆきとして、自分に命じるように加速していくようすを強調しています。運転をしている人の心の動きが見て取れるでしょう。もっと速く、という前のめりの姿勢です。運転をすると大胆になる、などと言われます。作者にも、そのようなところがあったのではないでしょうか。はやる思いが、「路面をつかめ」とフロントタイヤに指示しています。この「つかめ」という表現が、スピードを出して運転する人の手応えを、見事に伝えているのです。
黄昏の湾岸道路を行く車だれもだれかの後を走れり

香川(かがわ)ヒサ『マテシス・Mathesis』



「黄昏(たそがれ)の湾岸道路を」といって、美しい夕暮れの風景を差し出す一首。運転をしているのかどうかは不明ですが、道路全体を俯瞰(ふかん)する視線がとおっています。どの車もだれかの後ろを走っているという、見たままの風景を捉えているだけなのです。その感慨を、下句のように平明な言葉で単純化してみるとどうでしょう「だれもだれかの後を走れり」という諦観した世界観に読めるのです。作者の世界観として、つよく印象を残すフレーズになりました。黄昏の湾岸道路に車を走らせているのに、黄昏の海に酔えない作者がいるのです。
■『NHK短歌』2021年9月号より

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