戦争が女性兵士たちに残したトラウマ

第二次世界大戦時、ソ連軍に従軍した女性兵士たちの証言を集めた『戦争は女の顔をしていない』。戦地での体験は、彼女たちの心や身体に重い傷を残しました。ロシア文学研究者の沼野恭子(ぬまの・きょうこ)さんが、女性たちのトラウマに関する証言を紹介します。

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『戦争は女の顔をしていない』の中には、戦後長い間、あるいは、ずっと消えることなく、さまざまな形でトラウマが続いたという証言が数多く残されています。
オリガ・ヤーコヴレヴナ・オメリチェンコ 歩兵中隊(衛生指導員)
戦争から戻ってきて、私は重い病気になりました。あちこちの病院をまわり、ついに年老いた教授のもとにたどり着きました。その人が主治医になりました。薬よりも言葉で治してくれた。私の病気を説明してくれたんです。
「もしあなたが、十八歳や十九歳で前線に出たのなら、身体ができていただろう。でもあなたは十六の時だったから、まだまだ若くて、身体がひどくトラウマを受けてしまった」、と。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著 三浦みどり訳


『戦争は女の顔をしていない』岩波書店刊(以下同)




まだ少女と呼べる世代の女性が戦場に行き、過酷な経験をしたのですから、こうしたことが起こるのは、当然のことでしょう。
今でこそ心的外傷後ストレス障害(PTSD)という病名があり、治療を受けることもできますが、当時のソ連では精神的症状へのケアはほぼ皆無でした。
そもそもPTSDは、ベトナム戦争の帰還兵の心理的障害に関する研究から生まれた病名です。戦場から戻っても日常生活に適応できず、死の危険に直面した記憶がフラッシュバックしたり、極度の緊張状態に陥ったりする帰還兵の精神的変調は「ベトナム症候群」と呼ばれ、その後の研究を経て診断法や治療法が確立されました。
ベトナム戦争と時期的にも近く、「ソ連にとってのベトナム戦争」ともいえるのが、アフガニスタン戦争でした。実際にソ連国内には、ベトナム帰還兵と同じような精神疾患に苦しむアフガン帰還兵たちがいました。しかし、ソ連の社会は、アフガニスタン戦争で心に傷を負った人たちの存在を隠蔽しようとし、トラウマを抱えた人たちをケアするシステムを作りませんでした。第二次世界大戦の戦後期であれば、精神科に通うことのハードルはなおさら高かったでしょう。女性が従軍したことを隠す風潮が強かったことを考えれば、証言者たちが一人で症状を抱え、苦しんでいたことは、想像に難くありません。
クラヴジヤ・グリゴリエヴナ・クローヒナ 上級軍曹(狙撃兵)
生きて帰っても心はいつまでも痛んでる。今だったら、足とか手をけがしたほうがいいと思うね。身体が痛むほうがいいって。心の痛みはとても辛いの。
アリヴィナ・アレクサンドロヴナ・ガンチムロワ 上級軍曹(斥候)
私は戦争が終わってからも十五年間偵察に行っていました。毎晩毎晩……そういう夢です。自動小銃が壊れてしまったり、包囲されていたり、眼が覚めてもまだ歯ががちがち鳴っていました。
マリヤ・ヤーコヴレヴナ・エジョワ 衛生輜重(しちょう)
戦後は産科に助産婦としてつとめましたが、長くは続きませんでした。血の匂いのアレルギー、身体が受け付けないんです。戦地であまりにたくさん血を見てしまったので、もう我慢できなかったんです。(中略)赤い更紗でも、バラやカーネーションの赤でも私の身体は受け付けなかったんです。赤いものは何でも、血の色のものは……今でも家には赤いものは何もありません。
■『NHK100分de名著 アレクシエーヴィチ 戦争は女の顔をしていない』より

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アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』 2021年8月 (NHK100分de名著)
『アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』 2021年8月 (NHK100分de名著)』
沼野 恭子
NHK出版
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