兵士として従軍した女性たちの「身体の記憶」

ソ連は第二次世界大戦中、女性を兵士として動員しました。彼女たちの戦争の記憶を集めた『戦争は女の顔をしていない』には、身体に関する証言がとても多くみられます。ロシア文学研究者の沼野恭子(ぬまの・きょうこ)さんは、「戦争の現実が、いかに女性本来の身体システムに合っていないかが分かります」と語ります。

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単純に性別で分けてしまうのは発展性のない考え方ではあるのですが、とはいえ、女たちの語りは、語り方も内容も、男たちの語りとはかなり違っていた、という実感をアレクシエーヴィチが持っていたことは確かです。
では、どのように違ったのか。私は、「身体性」を帯びる、というところに、女性の語りの特徴があると考えています。
この作品を読んだ方は、身体に関する証言がとても多いことに気付かれると思います。その中でも、特に女性性を象徴するのが、月経やおさげに関する話です。
アレクサンドラ・セミョーノヴナ・ポポーワ 親衛隊中尉(爆撃手)
武器係の女の子たちが爆弾四個、四百キロにもなる爆弾を爆撃機に手で取り付けます。(中略)身体そのものが戦争に順応してしまって、戦中、女のあれが全く止まってしまいました。
マリヤ・ネステロヴナ・クジメンコ 軍曹(武装調達)
半年たって、過労から私たちの身体は女でなくなりました。あれが止まってしまったんです。生物の周期が狂ったのです。もう永遠に女にならないんだ、と思うのは恐ろしかった。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著 三浦みどり訳


『戦争は女の顔をしていない』岩波書店刊(以下同)



月経に関する証言を見ると、戦争の現実が、いかに女性本来の身体システムに合っていないかが分かります。また、経血のほかにも、負傷した脚を切断したり、大量の血が流れるような描写が多く登場します。こうした身体的描写は、アレクシエーヴィチだけでなく、この作品が発表された時期、つまりペレストロイカ前後に活躍していたロシアの女性作家に共通する特徴でもあります。
ペレストロイカ以前のソ連の文学は「社会主義リアリズム」というたがをはめられていました。社会主義に沿った内容で、大衆に分かりやすく平易な言葉で書かれていなければならない、という縛りがあったのです。それが取り払われ、自由な表現が可能になったとき、女性作家たちは、さまざまな身体的描写を駆使して、ソ連社会がタブーとしてきた堕胎や売春といった問題をテーマに作品を発表していきました。それぞれ書き方や方法論は違いますが、身体性に着目しているという点で、アレクシエーヴィチはたしかに現代ロシア文学の女性作家たちの系譜に位置付けられます。
ロシアの文化では「おさげ」=「長い髪」は女性性の象徴で、女性たちは髪をとても大切にしていました。髪に関する証言が多いのは、そうした文化的背景もあるでしょう。
クラヴヂヤ・イワーノヴナ・テレホワ 大尉(航空隊)
航空学校に来たときの女の子たちはみな長いお下げ髪でした……(中略)それをどうやって洗ったらいいのか、乾かす間もなく防空壕へ走らなければならないんです。指揮官のマリーナ・ラスコワは全員に髪を切るよう命じました。私たちは髪を切って泣きました。
かつてロシアでは、結婚前の女性は長い髪を一本の太い三つ編みにしていて、結婚式の日に女友達が歌を歌う中、三つ編みをほどくという風習がありました。つまり、三つ編みをほどくという行為は、特にロシアの農村部では、純潔や処女性との別れ、子供時代との決別といった意味合いを持っていました。ですから、まだ結婚前の若い女性たちが、長いおさげ髪を切るという行為には、単に軍に入隊したということ以上の、女性としてのアイデンティティを失うような、非常に重い意味があったはずです。
そうした成長途上の少女たちの身体の記憶をも集めたのが『戦争は女の顔をしていない』なのです。
■『NHK100分de名著 アレクシエーヴィチ 戦争は女の顔をしていない』より

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アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』 2021年8月 (NHK100分de名著)
『アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』 2021年8月 (NHK100分de名著)』
沼野 恭子
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