銀河を詠んだ高浜虚子の想像力
昭和24年、高浜虚子は銀河を詠んだ作品群を残しました。「天為」「秀」同人の岸本尚毅(きしもと・なおき)さんが、その想像力について解説します。
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人間の想像力が偉大だと思うときがあります。たとえば悠久、永遠のような何か(概念)を思い浮かべるときです。
虚子(きょし)一人銀河と共に西へ行く
「昭和二十四年七月二十三日 夜十二時、蚊帳(かや)を出て雨戸を開け、銀河の空に対す」と詞書(ことばがき)があります。「見る」のではなく「対す」のです。
同じとき〈○銀河中天老の力をそれに得つ〉〈昴(すばる)明(あか)く銀河の暗きところあり〉〈○銀河西へ人は東へ流れ星〉〈○西方の浄土は銀河落るところ〉〈昼は机に向ひ夜は銀河に対す〉〈寝静まり銀河流るゝ音ばかり〉〈我が思ひ殊(こと)に銀河は明らかに〉〈○なつかしの戸締める隣月更けて〉〈銀河無し月の光の塗りつぶし〉〈銀河無し月と昴とあるばかり〉と詠(よ)み、さらに翌二十四日の未明に〈昴燃え時計は三時明易き〉と詠んでいます。このとき虚子は七十五歳。目が冴えて眠れなかったのでしょう。
虚子の想像力は、身近な「蚊帳」「雨戸」「机」「戸締める隣」「時計」から、はるか彼方(かなた)の「銀河」「昴」「月」へと駆け巡ります。〈寝静まり銀河流るゝ音ばかり〉は寝室にいて銀河の音を聞いています。驚くのは〈銀河無し月の光の塗りつぶし〉という、読者の意表をついた句です。その夜の「十二時」には月が出ていなかったのが事実のようですが、虚子は、明るい月光が銀河を塗りつぶした状態を想像して〈銀河無し〉と詠んだのです。
引用した十二句のうち、「虚子一人」と○印の計五句を、虚子は後年の句集『六百五十句』に残しました。残る七句は句集に採らなかった。これを見ると虚子の自選の過程がわかります。
■『NHK俳句』2021年8月号より
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人間の想像力が偉大だと思うときがあります。たとえば悠久、永遠のような何か(概念)を思い浮かべるときです。
虚子(きょし)一人銀河と共に西へ行く
高浜虚子(たかはま・きょし)
「昭和二十四年七月二十三日 夜十二時、蚊帳(かや)を出て雨戸を開け、銀河の空に対す」と詞書(ことばがき)があります。「見る」のではなく「対す」のです。
同じとき〈○銀河中天老の力をそれに得つ〉〈昴(すばる)明(あか)く銀河の暗きところあり〉〈○銀河西へ人は東へ流れ星〉〈○西方の浄土は銀河落るところ〉〈昼は机に向ひ夜は銀河に対す〉〈寝静まり銀河流るゝ音ばかり〉〈我が思ひ殊(こと)に銀河は明らかに〉〈○なつかしの戸締める隣月更けて〉〈銀河無し月の光の塗りつぶし〉〈銀河無し月と昴とあるばかり〉と詠(よ)み、さらに翌二十四日の未明に〈昴燃え時計は三時明易き〉と詠んでいます。このとき虚子は七十五歳。目が冴えて眠れなかったのでしょう。
虚子の想像力は、身近な「蚊帳」「雨戸」「机」「戸締める隣」「時計」から、はるか彼方(かなた)の「銀河」「昴」「月」へと駆け巡ります。〈寝静まり銀河流るゝ音ばかり〉は寝室にいて銀河の音を聞いています。驚くのは〈銀河無し月の光の塗りつぶし〉という、読者の意表をついた句です。その夜の「十二時」には月が出ていなかったのが事実のようですが、虚子は、明るい月光が銀河を塗りつぶした状態を想像して〈銀河無し〉と詠んだのです。
引用した十二句のうち、「虚子一人」と○印の計五句を、虚子は後年の句集『六百五十句』に残しました。残る七句は句集に採らなかった。これを見ると虚子の自選の過程がわかります。
■『NHK俳句』2021年8月号より