巻き込まれ男子・在原業平が能動的に恋した運命の女性
実は受け身で巻き込まれ型の恋愛が多かった在原業平。息子に頼まれてその母親である老女と一夜を共にしたり、父親に頼まれて娘と結婚に至ったりと、情の深い人柄が見て取れます。作家の高樹のぶ子さん(※)は、そんな業平にも能動的な恋が二つあったと言います。そのうちの一つ、藤原高子との恋を解説していただきました。
※高樹さんの「高」の字は、正しくは「はしごだか」です。
* * *
藤原高子(たかいこ)は藤原長良(ながら)の娘で、のちに清和(せいわ)天皇の后となって二条后(にじょうのきさき)と呼ばれ、陽成(ようぜい)天皇を産んで国母(こくも)となった女性です。その高子は、入内(じゅだい)する前、業平と恋人関係にあったのだと『伊勢物語』は伝えます。
第四段を読んでみます。昔、五条の御邸の西の対(たい)に住む人がいました。高子姫です。その人のことを、あるまじきこととは思いながら深く愛してしまった男(業平)がよく訪れていたのですが、あるとき高子は他所(よそ)に移され、居所が解らなくなってしまいました。そして正月十日ばかりの頃、高子がいよいよ内裏に入ったという知らせが業平の耳に入ります。居所が解ったのは嬉しいのですが、そこは業平が手を伸ばすには遠すぎる。何もできず日を経るばかりでした。
またの年の睦月(むつき)に、梅(むめ)の花ざかりに、去年(こぞ)を恋ひて行きて、立ちて見、ゐて見、見れど、去年に似るべくもあらず。うち泣きて、あばらなる板敷に月のかたぶくまでふせりて、去年を思ひいでてよめる、
月やあらぬ春や昔の春ならぬ
わが身一(ひと)つはもとの身にして
とよみて、夜(よ)のほのぼのと明くるに、泣く泣く帰りにけり。
「月やあらぬ」の歌は、業平の絶唱と言える名歌です。
《ああ。この月はいつぞやの月とは違うのか。この春は去年の春ではないのか。何も変わらぬ月や春のはずなのに、わが身だけが元のままあの御方を思い続けているせいで、月や春さえ、昔とは違ってしまったように思えてしまうのです。》
この歌は、上の句で「や」という助詞が二つ重ねられています。この「や」は長く論争の的で、多くの研究者が「これは反語だ」「いや、疑問だ」と解釈をしてきました。しかし私は、業平の思いがあふれ出てしまったゆえの表現と考えてみたい。つまり、高子への思いをいちいち整理整頓せずに吐露(とろ)してしまった、詠嘆してしまったがゆえに、洗練された表現にならなかったのではないでしょうか。
この詠嘆の言葉には、業平の息づかいが感じられます。まさに、ここに業平がいるという感じがしてくるのです。歌の息づかいは体から出てきます。この歌には業平という人の存在そのものがあり、彼のパッションが伝わってくる。つまり、歌に業平の息づかいが感じられる──そのことが、現代にまで彼の歌が生き続けている一番大きな理由だと思います。
業平と高子の恋の顚末でもっともよく知られているのは、業平が高子をさらって逃げる第六段の物語でしょう。
むかし、男ありけり。女のえ得(う)まじかりけるを、年を経(へ)てよばひわたりけるを、からうして盗みいでて、いと暗きに来けり。芥河(あくたがは)といふ河を率(ゐ)て行(い)きければ、草の上(うへ)に置きたりける露(つゆ)を、「かれはなにぞ」となむ男に問ひける。
芥川という川までようやく逃げてきた場面です。草の露を見て「これは何?」と甘えるように問う高子。夜も更け、雨も激しくなってきました。業平は高子を蔵に入れて戸口を見張ります。
はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口(ひとくち)に食(く)ひてけり。「あなや」と言ひけれど、神(かみ)鳴るさわぎに、え聞かざりけり。やうやう夜(よ)も明けゆくに、見れば、率(ゐ)て来(こ)し女もなし。足ずりをして泣けども、かひなし。
白玉(しらたま)かなにぞと人の問ひし時
露(つゆ)とこたへて消えなましものを
気づくと高子は鬼に食べられていました。彼女は悲鳴をあげたのですが、雷のせいで業平にはそれが聞こえなかったのです。地団駄(じだんだ)を踏み、打ち伏して嘆くも、甲斐(かい)なきこと。
《あれは白玉ですか、何ですか、とあの御方が尋ねたとき、いえあれは露ですよと、真っ直ぐにお答えして、私もあの露のように、はかなく消えてしまえば良かったのに。ああ、このような辛さに逢おうとは。》
この章段には、業平が高子を盗み出したのを、高子の二人の兄、藤原基経(もとつね)と国経(くにつね)が取り返しに来たときのことだ、という注が付されています。藤原家の命運を握る高子をさらったことで業平は藤原北家の怒りを買い、都にはいづらくなって、自ら東国に下っていきました。その旅の様子が、続く第七~十五段で描かれています。
■『NHK100分de名著 伊勢物語』より
※高樹さんの「高」の字は、正しくは「はしごだか」です。
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藤原高子(たかいこ)は藤原長良(ながら)の娘で、のちに清和(せいわ)天皇の后となって二条后(にじょうのきさき)と呼ばれ、陽成(ようぜい)天皇を産んで国母(こくも)となった女性です。その高子は、入内(じゅだい)する前、業平と恋人関係にあったのだと『伊勢物語』は伝えます。
第四段を読んでみます。昔、五条の御邸の西の対(たい)に住む人がいました。高子姫です。その人のことを、あるまじきこととは思いながら深く愛してしまった男(業平)がよく訪れていたのですが、あるとき高子は他所(よそ)に移され、居所が解らなくなってしまいました。そして正月十日ばかりの頃、高子がいよいよ内裏に入ったという知らせが業平の耳に入ります。居所が解ったのは嬉しいのですが、そこは業平が手を伸ばすには遠すぎる。何もできず日を経るばかりでした。
またの年の睦月(むつき)に、梅(むめ)の花ざかりに、去年(こぞ)を恋ひて行きて、立ちて見、ゐて見、見れど、去年に似るべくもあらず。うち泣きて、あばらなる板敷に月のかたぶくまでふせりて、去年を思ひいでてよめる、
月やあらぬ春や昔の春ならぬ
わが身一(ひと)つはもとの身にして
とよみて、夜(よ)のほのぼのと明くるに、泣く泣く帰りにけり。
「月やあらぬ」の歌は、業平の絶唱と言える名歌です。
《ああ。この月はいつぞやの月とは違うのか。この春は去年の春ではないのか。何も変わらぬ月や春のはずなのに、わが身だけが元のままあの御方を思い続けているせいで、月や春さえ、昔とは違ってしまったように思えてしまうのです。》
この歌は、上の句で「や」という助詞が二つ重ねられています。この「や」は長く論争の的で、多くの研究者が「これは反語だ」「いや、疑問だ」と解釈をしてきました。しかし私は、業平の思いがあふれ出てしまったゆえの表現と考えてみたい。つまり、高子への思いをいちいち整理整頓せずに吐露(とろ)してしまった、詠嘆してしまったがゆえに、洗練された表現にならなかったのではないでしょうか。
この詠嘆の言葉には、業平の息づかいが感じられます。まさに、ここに業平がいるという感じがしてくるのです。歌の息づかいは体から出てきます。この歌には業平という人の存在そのものがあり、彼のパッションが伝わってくる。つまり、歌に業平の息づかいが感じられる──そのことが、現代にまで彼の歌が生き続けている一番大きな理由だと思います。
業平と高子の恋の顚末でもっともよく知られているのは、業平が高子をさらって逃げる第六段の物語でしょう。
むかし、男ありけり。女のえ得(う)まじかりけるを、年を経(へ)てよばひわたりけるを、からうして盗みいでて、いと暗きに来けり。芥河(あくたがは)といふ河を率(ゐ)て行(い)きければ、草の上(うへ)に置きたりける露(つゆ)を、「かれはなにぞ」となむ男に問ひける。
芥川という川までようやく逃げてきた場面です。草の露を見て「これは何?」と甘えるように問う高子。夜も更け、雨も激しくなってきました。業平は高子を蔵に入れて戸口を見張ります。
はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口(ひとくち)に食(く)ひてけり。「あなや」と言ひけれど、神(かみ)鳴るさわぎに、え聞かざりけり。やうやう夜(よ)も明けゆくに、見れば、率(ゐ)て来(こ)し女もなし。足ずりをして泣けども、かひなし。
白玉(しらたま)かなにぞと人の問ひし時
露(つゆ)とこたへて消えなましものを
気づくと高子は鬼に食べられていました。彼女は悲鳴をあげたのですが、雷のせいで業平にはそれが聞こえなかったのです。地団駄(じだんだ)を踏み、打ち伏して嘆くも、甲斐(かい)なきこと。
《あれは白玉ですか、何ですか、とあの御方が尋ねたとき、いえあれは露ですよと、真っ直ぐにお答えして、私もあの露のように、はかなく消えてしまえば良かったのに。ああ、このような辛さに逢おうとは。》
この章段には、業平が高子を盗み出したのを、高子の二人の兄、藤原基経(もとつね)と国経(くにつね)が取り返しに来たときのことだ、という注が付されています。藤原家の命運を握る高子をさらったことで業平は藤原北家の怒りを買い、都にはいづらくなって、自ら東国に下っていきました。その旅の様子が、続く第七~十五段で描かれています。
■『NHK100分de名著 伊勢物語』より
- 『伊勢物語 2020年11月 (NHK100分de名著)』
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