ペスト流行時の政策「家屋封鎖」の明と暗

17世紀にロンドンを飲み込んだペストのパンデミック。行政は様々な対策を打ち出しましたが、中でも賛否が分かれた最大の施策が「家屋封鎖」でした。家屋封鎖の利点、欠点を英文学者、東京大学准教授の武田将明(たけだ・まさあき)さんに解説してもらいました。

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家屋封鎖とは、ペスト患者が出た家を封鎖して、患者だけでなく健康な同居人もすべて外出しないよう、またその家を外から訪ねる者がないよう、昼夜二交代で監視人を付けて見張るというもの。シティーでは先に引いた条例で定められ、ロンドンの他の地域でも同じことが行われました。
この対策は当初、あまりにむごいと市民から批判されました。病人と一緒の家に閉じ込められたせいで、多くの人が疫病に罹(かか)って亡くなりました。彼らは、家屋閉鎖がなければ助かった可能性の高い人々です。市民は規制を緩めるよう行政府に働きかけたのですが、「公共の利益の前では、個人の被害を訴えても無駄だった」と言います。
すると監視人の目をごまかして脱走する者や、監視人に暴力をふるい、力づくで脱出する者が出てきました。先にも触れたように、この監視人は主に貧しい人たちにあてがわれた仕事です。彼らは特別な訓練を受けたわけでもなければ、自分を守るための武器も持っていないので、かなり危険な任務だったと思われます(ちなみに、軍隊を動員しようにも、彼らの多くは地方に避難していました)。言うまでもなく、感染者と接触する確率の高い仕事でもあります。監視人の遭遇した災難として、このような記述が見られます。
監視人の前で火薬が爆発し、気の毒にも彼は無残な火傷を負った。この男はゾッとする声で何度も叫んだけれど、近づいて助ける勇気のある人はいなかった。そのあいだ、監視された家族のうち身動きの取れる者はみんな二階にある窓から脱出した。(中略)ペストの勢いが弱まると彼らは戻ってきた。けれども一つも証拠がないので、なんの手出しもできなかった。
このように、家屋閉鎖は監視される側にも、監視する側にも不幸をもたらしました。それなのに、家屋閉鎖には効果がなかった、と語り手は述べています。というのも、「力ずくか策略を用いた脱走が絶えず、それも何度でも好きなだけ行われていた」からです。脱走が何度でも行われたのは、「多くの家には間取りの上で複数の出口があった」からで、そもそも住人全員の出入りを監視人が一人で見張るのは、土台無理な話だったのです。
このように、H・Fは家屋封鎖について非常に批判的です。いま紹介した箇所では、明確に「それは効果がなかった」と断言しています。しかし別の箇所を見ると、彼は「家屋封鎖には効果があった」とも述べているのです。
以前、高熱が出た感染者が街を走り回った話を紹介しました。これに対してH・Fは、「もしも当時、このような病人がいままで述べたように拘束されなかったとしよう。するとロンドンは、かつてこの世に存在したことがない、恐怖の町と化していただろう」と言い、家屋封鎖は錯乱する感染者に対して成果があったと認めています。また彼は、行政側もただ厳しかっただけではなく、封鎖された家の人が困らないよう、監視人に物資や食糧の買い物を代行するよう指示していたとも記しています。
ほかにも、デフォーはペスト流行下のロンドンで行政府が実施した家屋封鎖について、『ペストの記憶』でかなりの紙幅を費やして論じています。そこにあるのは、行政の視点、市民の視点、監視人の視点など、多様な立場から見た政策の実態です。感染者の家を封鎖することはやむを得ないのか。それとも、個人の自由を奪う過剰な対策なのか。コロナ禍での自粛をめぐる賛否両論に似ており、答えを出すのが難しい問題です。
作家であるデフォーは、そこにさらにひねりを加えました。家屋封鎖に批判的だったH・F自身が、区長(オルダーマン)によって、自分の住む地域の全家屋の感染状況を調べる「調査員(イグザミナー)」に任命されてしまうという展開です(調査員が「感染者あり」と認めた家は封鎖の対象となりました)。なんとか役目を免除してもらおうとあれこれ言い訳をするH・Fですが、結局、任命期間を短縮してもらえただけで、不平をこぼしながらも三週間従事しました。
■『NHK100分de名著 デフォー ペストの記憶』より

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デフォー『ペストの記憶』 2020年9月 (NHK100分de名著)
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武田 将明
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