ウンベルト・エーコも絶賛した『ピノッキオの冒険』の書き出し

統一から約10年を経たイタリアで誕生した『ピノッキオの冒険』。この作品の書き出しは、ウンベルト・エーコも絶賛していたといいます。イタリア文学研究者、東京外国語大学名誉教授の和田忠彦(わだ・ただひこ)さんが、冒頭部分を引いてその理由を解説します。

* * *

それでは冒頭の書き出しから見ていきます。
昔むかしあるところに……
 
「ひとりの王さまがいたんだ!」わたしのちいさな読者たちはきっとすぐに言うにちがいない。
「いいえ、みなさん、それはまちがいです。昔むかしあるところに、まるたん棒が一本、あったのです」
ぜいたくな木などではなく、ありふれたあやしげなまるたん棒、冬になればストーブや暖炉にくべて、部屋を暖めるのに使うやつだ。
事の次第はわたしにはわからないのだけれど、すべては、ある日、ひとりの年老いた大工の仕事場にそのまるたん棒が転がりこんだときからはじまった。

(第一章)



「昔むかしあるところに」は、わたしたち誰もが知っている昔話の書き出しです。ですが、この『ピノッキオの冒険』はご覧のとおり、いきなり読者が馴染んだ期待を裏切るところから始まっています。「それはまちがいです」というのですから。読者としては、「あれ、わたしたちはどこに連れていかれるの?」となります。
このいきなりのうっちゃりは、『ピノッキオの冒険』という作品が備えるもっともすぐれて現代的な語りの技法です。つまり、予定調和的な物語の行く末はここでは保証されませんよ、と読者はあらかじめ宣告されてしまう。目の前にあるはずのおとぎ話の一本道がいきなりかき消されて、そこには森だか荒野だかわからない何かが茫漠と広がっているという状況にいきなり放り出されてしまうのです。それが、この書き出しが持つ重要な機能だと思います。
『薔薇の名前』で知られるイタリアの小説家ウンベルト・エーコは、『ピノッキオの冒険』の最新の英語版に寄せた序文のなかで、また1993年にアメリカのハーバード大学で行った連続講義(『小説の森散策』岩波文庫)のなかでも、この書き出しにこだわって、その見事さについて繰り返し指摘しています。エーコは小説以外にも、文学の真摯な遊びとして長年にわたってパロディを創作するなど、物語の手法をつぶさに実験、実践してきた作家です。そんな一筋縄ではいかない知識人であるかれにとってみても、この書き出しは意表を衝かれるものがあった。エーコはそう告白し、この物語を冒頭から高く評価しています。
■『NHK100分de名著 ピノッキオの冒険』より

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コッローディ『ピノッキオの冒険』 2020年4月 (NHK100分de名著)
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和田 忠彦
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