かわいいを超えた桁外れないたずらっ子 ピノッキオの本当の姿
イタリア王国が誕生してからおよそ10年後の1881年に創刊されたイタリア初の子ども向け週刊誌「子ども新聞」。この雑誌の創刊号から連載が始まったのがカルロ・コッローディの『ピノッキオの冒険』でした。ピノッキオは日本でもよく知られるキャラクターですが、イタリア文学研究者、東京外国語大学名誉教授の和田忠彦(わだ・ただひこ)さんは、「その物語全体を正確に知っている人は、実はきわめて少ないと言えるでしょう」と指摘します。
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『ピノッキオの冒険』は、「子ども新聞」での二年余りの連載を経て、1883年に単行本として出版されます。その道のりはしかし順調だったわけではなく、連載の途中で二度三度と、物語が中断するという出来事もありました。とりわけ一回目の中断は、実は中断ではなく物語の「終わり」でした。主人公ピノッキオが、みずから犯した過ちのゆえに、樫の木に首を括(くく)られて命を落とすという衝撃的な結末で、物語が終わってしまったのです。これは、単行本となった『ピノッキオの冒険』全36章のうちの第15章にあたる部分で、いまのわたしたち読者からすれば、「え? ここで終わるの?」と思ってしまうくらい、なんとも唐突であっけない幕切れです。
幸い、連載は再開されてピノッキオは生き返り、物語はつづくことになりました。その背景にあったのは、主たる読者である子どもたちの声でした。樫の木に吊るされて命を落としたピノッキオはかわいそうだ、救ってあげて、という声が、多くの子どもたちによって直接出版社に届けられたのです。付き添ってきた親たちも、同様に連載の再開を望んだといいます。その結果として、いまわたしたちが読むことができる『ピノッキオの冒険』という作品は完成しました。このエピソードは、特に20世紀以降の小説と読者のあり方(すなわち、読者の読書経験のなかではじめて小説は完成する、という文学批評の流れ)を考えたときに、まさに先駆的で象徴的な出来事だったと言えるでしょう。とりわけ、19世紀フランスのアレクサンドル・デュマやウジェーヌ・シューの新聞連載大衆小説を支え、ときに物語の運びそのものまで変えることもあった読者たちのあり方を思い浮かべないわけにはいかないからです。読者の参加によってはじめて物語が完成する──そんな物語と読者の関係を、子どものための物語で体現したはじめての作家がコッローディであったと言えるかもしれません。
ピノッキオが首を括られて一度死んだという展開を聞いて、「わたしたちの知るピノッキオのかわいらしいイメージと違う」と感じた方は少なくないでしょう。『ピノッキオの冒険』には、実はほかにも大胆不敵なエピソードが満載で、ピノッキオのいたずらっ子ぶりはかわいいを超えて桁外れなところがあります。おまけに作者コッローディは、教科書執筆に熱心に取り組む勤勉さを持ちながら、賭け事が大好きでした。彼がギャンブル依存症だったことと『ピノッキオの冒険』の誕生には深い関係があるのですが、これについてはこのあと詳しくふれることになると思います。
とにかく、ピノッキオはおそらく世界でもっともよく知られた人形キャラクターでありながら、その物語全体を正確に知っている人は、実はきわめて少ないと言えるでしょう。最近の統計でも確認されているのですが、『ピノッキオの冒険』は、イタリアが生んだ文学作品のなかでもっとも多くの外国語に翻訳されている、世界有数のロングセラー作品です。それだけ世界で紹介されていながら、元の物語を知っている人は少ない。その理由は言うまでもなく、1940年にウォルト・ディズニーがこの物語を下敷きにしてつくったアニメーション映画『ピノキオ』の絶大な影響にあります。この映画は原作に忠実なものではまったくなく、ウォルトが原作の残酷さや両義性を実に上手に取り除いて誰もが感動する冒険ファンタジー作品に仕上げたものでした。そして1940年代以降は、元の物語を知らずにディズニー版のピノキオだけに触れて育つ子どもたちが、世界各国で、果ては本国イタリアでさえも、生まれつづけたのです。
今回は、ピノッキオの本当の物語はどんなものなのか、また、ディズニーの功罪があるとはいえ、これだけ世界に広まったピノッキオの物語の魅力とは何なのかを、その受容の歴史にも折々にふれながら、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
■『NHK100分de名著 ピノッキオの冒険』より
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『ピノッキオの冒険』は、「子ども新聞」での二年余りの連載を経て、1883年に単行本として出版されます。その道のりはしかし順調だったわけではなく、連載の途中で二度三度と、物語が中断するという出来事もありました。とりわけ一回目の中断は、実は中断ではなく物語の「終わり」でした。主人公ピノッキオが、みずから犯した過ちのゆえに、樫の木に首を括(くく)られて命を落とすという衝撃的な結末で、物語が終わってしまったのです。これは、単行本となった『ピノッキオの冒険』全36章のうちの第15章にあたる部分で、いまのわたしたち読者からすれば、「え? ここで終わるの?」と思ってしまうくらい、なんとも唐突であっけない幕切れです。
幸い、連載は再開されてピノッキオは生き返り、物語はつづくことになりました。その背景にあったのは、主たる読者である子どもたちの声でした。樫の木に吊るされて命を落としたピノッキオはかわいそうだ、救ってあげて、という声が、多くの子どもたちによって直接出版社に届けられたのです。付き添ってきた親たちも、同様に連載の再開を望んだといいます。その結果として、いまわたしたちが読むことができる『ピノッキオの冒険』という作品は完成しました。このエピソードは、特に20世紀以降の小説と読者のあり方(すなわち、読者の読書経験のなかではじめて小説は完成する、という文学批評の流れ)を考えたときに、まさに先駆的で象徴的な出来事だったと言えるでしょう。とりわけ、19世紀フランスのアレクサンドル・デュマやウジェーヌ・シューの新聞連載大衆小説を支え、ときに物語の運びそのものまで変えることもあった読者たちのあり方を思い浮かべないわけにはいかないからです。読者の参加によってはじめて物語が完成する──そんな物語と読者の関係を、子どものための物語で体現したはじめての作家がコッローディであったと言えるかもしれません。
ピノッキオが首を括られて一度死んだという展開を聞いて、「わたしたちの知るピノッキオのかわいらしいイメージと違う」と感じた方は少なくないでしょう。『ピノッキオの冒険』には、実はほかにも大胆不敵なエピソードが満載で、ピノッキオのいたずらっ子ぶりはかわいいを超えて桁外れなところがあります。おまけに作者コッローディは、教科書執筆に熱心に取り組む勤勉さを持ちながら、賭け事が大好きでした。彼がギャンブル依存症だったことと『ピノッキオの冒険』の誕生には深い関係があるのですが、これについてはこのあと詳しくふれることになると思います。
とにかく、ピノッキオはおそらく世界でもっともよく知られた人形キャラクターでありながら、その物語全体を正確に知っている人は、実はきわめて少ないと言えるでしょう。最近の統計でも確認されているのですが、『ピノッキオの冒険』は、イタリアが生んだ文学作品のなかでもっとも多くの外国語に翻訳されている、世界有数のロングセラー作品です。それだけ世界で紹介されていながら、元の物語を知っている人は少ない。その理由は言うまでもなく、1940年にウォルト・ディズニーがこの物語を下敷きにしてつくったアニメーション映画『ピノキオ』の絶大な影響にあります。この映画は原作に忠実なものではまったくなく、ウォルトが原作の残酷さや両義性を実に上手に取り除いて誰もが感動する冒険ファンタジー作品に仕上げたものでした。そして1940年代以降は、元の物語を知らずにディズニー版のピノキオだけに触れて育つ子どもたちが、世界各国で、果ては本国イタリアでさえも、生まれつづけたのです。
今回は、ピノッキオの本当の物語はどんなものなのか、また、ディズニーの功罪があるとはいえ、これだけ世界に広まったピノッキオの物語の魅力とは何なのかを、その受容の歴史にも折々にふれながら、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
■『NHK100分de名著 ピノッキオの冒険』より
- 『コッローディ『ピノッキオの冒険』 2020年4月 (NHK100分de名著)』
- 和田 忠彦
- NHK出版
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