クラークが遺した「最高の贈りもの」
アメリカがスペースシャトルの打ち上げに成功する2年前、アーサー・C・クラークは宇宙エレベーターの建造に携わる技術者の奮闘を描いた『楽園の泉』を刊行しました。作家の瀬名秀明(せな・ひであき)さんは、本作を「最高の贈りもの」だと捉えています。
* * *
クラークは『都市と星』を仕上げたあと、スリランカへ移住しました。以来、2008年3月19日にコロンボの病院で90年の生涯を閉じるまで、ほぼ半世紀にわたって、この島から世界を、そして宇宙を眺めながら、執筆活動を続けました。『楽園の泉』は、1979年、クラークが61歳のときに発表した長編です。本作はスリランカに移住しなくては誕生し得なかった作品でしょう。
『都市と星』と『楽園の泉』の間には23年の隔たりがあります。いちばんの大きな環境の変化は、本格的な宇宙時代、通信時代が到来したことです。クラークはすでに名士と見なされるようになっていました。あちこちで記念スピーチや講演をこなし、科学技術の国際会議や研究会に参加し、多くの研究者や宇宙飛行士らと交流しました。
海洋SFの名作『海底牧場』や『イルカの島』も上梓しました。また1964年から1968年にわたってスタンリー・キューブリック監督と映画『2001年宇宙の旅』を共作し、制作途中はいろいろあったものの、映画は商業的に大成功を収めました。大阪万博が開催された1970年には来日を果たし、当時まだ慰安会・同好会の趣きも強かった日本SF作家クラブの肝いりで実現した「国際SFシンポジウム」に参加。この折には小松左京と対談しています。しかし、『都市と星』以降のクラーク作品で、ぼくがもっとも感銘を受けたのは今回取り上げる『楽園の泉』です。
クラークは『楽園の泉』の初稿を1977年の年末に書き上げると、これが最後の作品だと考えていたようです。これぞ自分の作品だと思える最高のものが書けた、この一作で名を残せる、という達成感からでした。実際には、その後もいくつか長編作品を発表していますし、宇宙開発や通信技術などに関するノンフィクション作品、エッセイも書きました。それに、次々ともたらされた現実の宇宙探査の成果は、生涯にわたってクラークの胸を躍らせ続けたものと思われます。それらの感動がクラークを最後まで科学啓発家として原稿に向かわせたのでしょう。
本書ではこれまでクラークの初期の活動を「科学啓蒙」と述べてきました。しかし「啓蒙」には「無知蒙昧(むちもうまい)な輩(やから)の蒙を啓(ひら)かせてやろう」という“上から目線”の尊大なニュアンスがあるため、近年の教育の場では「啓発」という表現に置き換えられています。「科学技術に限らず、物事への興味はもともと各人が自発的に育んでゆくもの。教師やコミュニケーターはその手伝いをするだけだ」という姿勢が込められているのです。よって、いま「啓発」と書きました。
本作『楽園の泉』は、かつて「宇宙へ出て行くのは人類の本性だ。それがわからない奴は馬鹿だ」とさえ信じていたはずの「啓蒙家」だったクラークが、ダイビングを通して知った大自然の美しさと、スリランカで触れた多様な文化の先に辿り着いたおのれの境地をくっきりと示し、ぼくたち読者へ届けてくれた、まさに最高の贈りものだったと思います。
■神話とSFの融合
『楽園の泉』は、「宇宙エレベーター」を建造することに心血を注ぐ、モーガンという男の奮闘を描いた作品です。基調に流れるのは、技術者への讃歌。『プロジェクトX』を見るかのような高揚感を抱かせる作品です。
舞台となるのは、インド洋に浮かぶ架空の島タプロバニー。本作の「はじめに」には、タプロバニーは「約90パーセントまではセイロン(いまのスリランカ)の島と一致している」とあり、クラークが暮らすスリランカがモデルになっていることがわかります。スリランカを800キロメートルほど南、赤道近くへと移動させた地点にタプロバニーはある。
さて、この島に住む引退した政治家ラジャシンハの下を、51歳になる小柄な技術者ヴァニーヴァー・モーガンが訪ねてきます。モーガンは、ジブラルタル海峡15キロを横断する巨大な橋を建設する偉業をなしとげた工学者で、地球建設公社の技術部長という要職にある人物です。
モーガンの次の目標は地球と宇宙をつなぐ架け橋、すなわち宇宙エレベーターの建造でした。そのエレベーターを設置するのに、世界でもっとも適した場所が、タプロバニーの霊峰スリカンダの山頂でした。宇宙エレベーターの基部は赤道付近がよく、また上空の基地を安定させるには地球の重力場の具合を考慮するとインド洋がちょうどよい。しかもタプロバニーの高山なら少しでも風や空気の影響を減らせるので好都合だからです。しかし、タプロバニーは古い歴史と伝統のある土地で、簡単に宇宙エレベーターを建設するわけにはいかない。物語はこのような前提のもとに始まります。
序盤はモーガンの行動と並行して、タプロバニーの古い歴史──ずっと語り継がれてきた神話のごとき時代のいきさつが語られます。タプロバニーの年代記によれば、その昔、この島にはカーリダーサという王子がいました。彼は異母弟の皇太子を破り、父王を殺戮(さつりく)して王位についた人物。彼はやがて何代もの王が宮殿を構えた“黄金の都市”ラナプーラを捨て、ジャングルの奥へ40キロメートルほど入った巨岩ヤッカガラに、城壁と濠(ほり)をつくって庭園を拵(こしら)えました。これが「楽園の泉」です。王である彼は岩の壁肌に美女のフレスコ画も描かせ、そうした貴重な遺跡はいっとき忘れ去られるのですが、後年の調査で再発見されることとなります。引退政治家のラジャシンハはいにしえの王家の血筋をひく人でもあり、このカーリダーサの庭園跡地に邸宅を構えているのでした。
霊峰スリカンダには三千年もの歴史を有する寺院があり、物語の現代パートでもなお高僧マハナヤケ・テーロが多くの僧侶たちと法灯を守り続けています。カーリダーサは「破戒王」とも呼ばれ、寺院を敵対視していたのですが、ついに霊峰スリカンダは征服できずじまいでした。彼はのちに異母弟との戦いに敗れて自刃したと伝えられています。
スリカンダの周囲には金色の蝶が生息しており、地元では「ヤッカガラで全滅したカーリダーサの兵隊たちの霊魂」と信じられています。金色の蝶は、毎年ある季節になると山に向かって飛んでいくのですが、いつも麓のあたりで死滅してしまう。しかし、もし金色の蝶が死なずに山頂まで行きついたならば、それはカーリダーサの勝利を意味するので、僧侶は山を明け渡さなければならない──こんな託宣が、ラナプーラの博物館が保管する石板には刻まれているのでした。
本作は宇宙エレベーターという極めて近代的な科学技術の想像を前景としていますが、このような儚(はかな)ささえ湛(たた)えた神話的世界が重なっています。作者クラークがスリランカの文化に深い敬意を払っていたことがうかがえます。この絶妙なバランス、科学技術のみならず舞台の持つ歴史的重みと多様性への理解が、本作『楽園の泉』の物語を深いものにしているのです。
■『NHK100分de名著 アーサー・C・クラーク スペシャル』より
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クラークは『都市と星』を仕上げたあと、スリランカへ移住しました。以来、2008年3月19日にコロンボの病院で90年の生涯を閉じるまで、ほぼ半世紀にわたって、この島から世界を、そして宇宙を眺めながら、執筆活動を続けました。『楽園の泉』は、1979年、クラークが61歳のときに発表した長編です。本作はスリランカに移住しなくては誕生し得なかった作品でしょう。
『都市と星』と『楽園の泉』の間には23年の隔たりがあります。いちばんの大きな環境の変化は、本格的な宇宙時代、通信時代が到来したことです。クラークはすでに名士と見なされるようになっていました。あちこちで記念スピーチや講演をこなし、科学技術の国際会議や研究会に参加し、多くの研究者や宇宙飛行士らと交流しました。
海洋SFの名作『海底牧場』や『イルカの島』も上梓しました。また1964年から1968年にわたってスタンリー・キューブリック監督と映画『2001年宇宙の旅』を共作し、制作途中はいろいろあったものの、映画は商業的に大成功を収めました。大阪万博が開催された1970年には来日を果たし、当時まだ慰安会・同好会の趣きも強かった日本SF作家クラブの肝いりで実現した「国際SFシンポジウム」に参加。この折には小松左京と対談しています。しかし、『都市と星』以降のクラーク作品で、ぼくがもっとも感銘を受けたのは今回取り上げる『楽園の泉』です。
クラークは『楽園の泉』の初稿を1977年の年末に書き上げると、これが最後の作品だと考えていたようです。これぞ自分の作品だと思える最高のものが書けた、この一作で名を残せる、という達成感からでした。実際には、その後もいくつか長編作品を発表していますし、宇宙開発や通信技術などに関するノンフィクション作品、エッセイも書きました。それに、次々ともたらされた現実の宇宙探査の成果は、生涯にわたってクラークの胸を躍らせ続けたものと思われます。それらの感動がクラークを最後まで科学啓発家として原稿に向かわせたのでしょう。
本書ではこれまでクラークの初期の活動を「科学啓蒙」と述べてきました。しかし「啓蒙」には「無知蒙昧(むちもうまい)な輩(やから)の蒙を啓(ひら)かせてやろう」という“上から目線”の尊大なニュアンスがあるため、近年の教育の場では「啓発」という表現に置き換えられています。「科学技術に限らず、物事への興味はもともと各人が自発的に育んでゆくもの。教師やコミュニケーターはその手伝いをするだけだ」という姿勢が込められているのです。よって、いま「啓発」と書きました。
本作『楽園の泉』は、かつて「宇宙へ出て行くのは人類の本性だ。それがわからない奴は馬鹿だ」とさえ信じていたはずの「啓蒙家」だったクラークが、ダイビングを通して知った大自然の美しさと、スリランカで触れた多様な文化の先に辿り着いたおのれの境地をくっきりと示し、ぼくたち読者へ届けてくれた、まさに最高の贈りものだったと思います。
■神話とSFの融合
『楽園の泉』は、「宇宙エレベーター」を建造することに心血を注ぐ、モーガンという男の奮闘を描いた作品です。基調に流れるのは、技術者への讃歌。『プロジェクトX』を見るかのような高揚感を抱かせる作品です。
舞台となるのは、インド洋に浮かぶ架空の島タプロバニー。本作の「はじめに」には、タプロバニーは「約90パーセントまではセイロン(いまのスリランカ)の島と一致している」とあり、クラークが暮らすスリランカがモデルになっていることがわかります。スリランカを800キロメートルほど南、赤道近くへと移動させた地点にタプロバニーはある。
さて、この島に住む引退した政治家ラジャシンハの下を、51歳になる小柄な技術者ヴァニーヴァー・モーガンが訪ねてきます。モーガンは、ジブラルタル海峡15キロを横断する巨大な橋を建設する偉業をなしとげた工学者で、地球建設公社の技術部長という要職にある人物です。
モーガンの次の目標は地球と宇宙をつなぐ架け橋、すなわち宇宙エレベーターの建造でした。そのエレベーターを設置するのに、世界でもっとも適した場所が、タプロバニーの霊峰スリカンダの山頂でした。宇宙エレベーターの基部は赤道付近がよく、また上空の基地を安定させるには地球の重力場の具合を考慮するとインド洋がちょうどよい。しかもタプロバニーの高山なら少しでも風や空気の影響を減らせるので好都合だからです。しかし、タプロバニーは古い歴史と伝統のある土地で、簡単に宇宙エレベーターを建設するわけにはいかない。物語はこのような前提のもとに始まります。
序盤はモーガンの行動と並行して、タプロバニーの古い歴史──ずっと語り継がれてきた神話のごとき時代のいきさつが語られます。タプロバニーの年代記によれば、その昔、この島にはカーリダーサという王子がいました。彼は異母弟の皇太子を破り、父王を殺戮(さつりく)して王位についた人物。彼はやがて何代もの王が宮殿を構えた“黄金の都市”ラナプーラを捨て、ジャングルの奥へ40キロメートルほど入った巨岩ヤッカガラに、城壁と濠(ほり)をつくって庭園を拵(こしら)えました。これが「楽園の泉」です。王である彼は岩の壁肌に美女のフレスコ画も描かせ、そうした貴重な遺跡はいっとき忘れ去られるのですが、後年の調査で再発見されることとなります。引退政治家のラジャシンハはいにしえの王家の血筋をひく人でもあり、このカーリダーサの庭園跡地に邸宅を構えているのでした。
霊峰スリカンダには三千年もの歴史を有する寺院があり、物語の現代パートでもなお高僧マハナヤケ・テーロが多くの僧侶たちと法灯を守り続けています。カーリダーサは「破戒王」とも呼ばれ、寺院を敵対視していたのですが、ついに霊峰スリカンダは征服できずじまいでした。彼はのちに異母弟との戦いに敗れて自刃したと伝えられています。
スリカンダの周囲には金色の蝶が生息しており、地元では「ヤッカガラで全滅したカーリダーサの兵隊たちの霊魂」と信じられています。金色の蝶は、毎年ある季節になると山に向かって飛んでいくのですが、いつも麓のあたりで死滅してしまう。しかし、もし金色の蝶が死なずに山頂まで行きついたならば、それはカーリダーサの勝利を意味するので、僧侶は山を明け渡さなければならない──こんな託宣が、ラナプーラの博物館が保管する石板には刻まれているのでした。
本作は宇宙エレベーターという極めて近代的な科学技術の想像を前景としていますが、このような儚(はかな)ささえ湛(たた)えた神話的世界が重なっています。作者クラークがスリランカの文化に深い敬意を払っていたことがうかがえます。この絶妙なバランス、科学技術のみならず舞台の持つ歴史的重みと多様性への理解が、本作『楽園の泉』の物語を深いものにしているのです。
■『NHK100分de名著 アーサー・C・クラーク スペシャル』より
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