SF界きっての名文家、アーサー・C・クラークの知られざる文学的系譜

20世紀を代表するSF作家、アーサー・C・クラーク。作家の瀬名秀明(せな・ひであき)さんは、クラークを「本当に美しいものをきちんと美しく書ける稀有な才能の持ち主」と評します。クラークの美しいSF小説の土台を作った文学的系譜を辿ってみましょう。

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クラーク自身の記憶によれば1929年、少年クラークは「アメージング・ストーリーズ」というアメリカのSF雑誌に出会います。また1930年にはやはりSF雑誌「アスタウンディング」を手にして、これらは彼の運命を変えました。クラークはSFの世界に魅せられ、雑誌を収集するようになります。当時はアメリカの雑誌も古書などのかたちでイギリス国内によく出回っていたようです。
前述の「はしがき」で、当時のクラークにとってSFは「意識の拡大をもたらす唯一、本物の麻薬」だったと述べています。
昼食に下校するときなど、わたしはこの薬をひと射(う)ちしたくて、地元のウールワース百貨店をよくうろついたものだ。
さらに1930年夏、マインヘッド公共図書館を訪ねたクラークは、自身の人生を決定づける書物と出会います。それがイギリスの作家オラフ・ステープルドンの『最後にして最初の人類』です。
わたしの想像力をこれほど強烈に揺さぶった本は、あとにも先にもない─ステープルドン風な千万無量の展望と何億年もの歳月、諸文明と人類全種族の興亡は、わたしの宇宙観をそっくり一変させ、以来わたしの書くものに多大の感化を及ぼしている。
ステープルドンの『最後にして最初の人類』は、なんとも形容しがたい不思議な小説です。数十億年もの長い年月にわたる人類の物語で、ちょっと壮大すぎて笑ってしまう。宇宙に出て行った人類が、違う環境で進化を遂げて変貌(へんぼう)したかと思ったら、また宇宙に出て行って滅亡しかけ、なんとか復興する─そういうことが繰り返される話なのです。
ステープルドンは超能力者がどんどん生まれてきて世界を変える小説『オッド・ジョン』や、犬が知性を持つ『シリウス』など、特異な小説を書き続けた作家です。第一長編の『最後にして最初の人類』は、邦訳刊行が遅れたためか日本ではあまり知られていませんが、『ヨハネの黙示録』を読んでいるかのような妙な迫力があり、幻視的で、神秘主義的な感じを受けます。17世紀に書かれた寓意の書、ジョン・バニヤンの『天路歴程(てんろれきてい)』など、イギリスの宗教小説の系譜に連なる作品と見ることもできるかもしれません。

■バナールから受けた影響

クラークのルーツを語るうえで重要な人物のひとりが、ジョン・デスモンド・バナールです。彼の書いた『宇宙・肉体・悪魔』という書物は、のちのクラークの作家性に大きな影響を与えた一冊だと考えることができます。
バナールは小説家ではありません。分子生物学におけるX線結晶構造解析のパイオニアで、のちにジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによってDNAの二重らせん構造が発見される際、ロザリンド・フランクリンの撮ったX線回折写真が決定的証拠となったわけですが、バナールの先駆的業績がなければフランクリンの写真も生まれず二重らせん構造発見にも至らなかったことでしょう。
そのバナールが書いた『宇宙・肉体・悪魔』は、人類が進化の過程でどのように変貌していくかを考察した思想書です。人間は宇宙に出ていく過程で、肉体を変え、知性を変え、従来の限界を乗り越えていく存在になってゆく─バナールはそう予言しました。スペースコロニー、人体サイボーグ、群体頭脳などの記述も見られ、分子生物学者の著作としては異色の一冊ですが、のちに数多くのSFで用いられるアイデア群の大いなる源泉となった重要な本だといえます。
クラークが実際にバナールを読み始めたのは1950年代からだったそうですが、エッセイ「宇宙時代の試練」(最終稿は1961年)ですでにバナールとステープルドンの名を並べて紹介していますし、後年にも『宇宙・肉体・悪魔』を激賞し、もっとも素晴らしい科学的予測の試みであったと振り返って評価しています。
このバナールの著作は、先に紹介した作家ステープルドンのヴィジョンにもおそらく大きな影響を与えたと思われます。つまりクラークはステープルドンの小説を介して、間接的にもバナールの影響を受けていたわけです。バナールもステープルドンもイギリス人であり、イギリスが育んだこうした圧倒的未来ヴィジョンの系譜は、クラークに受け継がれてきたのです。
■『NHK100分de名著 アーサー・C・クラーク スペシャル』より

NHKテキストVIEW

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