ヤマトタケルを祀る近江国一之宮建部大社
- 建部大社の広々とした境内。中央は拝殿、その後ろに建部大神を祀った本殿と権殿(ごんでん)がある。それらを見守るかのように、左右には摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)が配置され、ヤマトタケルの妻や子、家来たちが祀られている。撮影:森山雅智
第12代景行(けいこう)天皇の子として誕生したヤマトタケル。ひょんなことから父親に疎まれ、西から東へ、休む間もなく全国を駆(か)けずりまわる日々。不本意ながらも、真面目に父の言いつけを守り、天皇に逆らう者たちを次々に討ち倒し、災いを払っていきました。力尽きるまで戦い、国の平定(へいてい)に奔走した若きヒーローは、全国の多くの神社で祀まつられています。國學院大學研究開発推進機構日本文化研究所教授の平藤喜久子(ひらふじ・きくこ)さんが、その中のひとつ、滋賀県大津市にある近江国一之宮建部大社(おうみのくにいちのみやたけべたいしゃ)を案内します。
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近江国一之宮の一之宮とは、その国を守る随一の神社という意味です。つまり、建部大社は近江国(滋賀県)全体を守護する神様を祀る場所でした。社(やしろ)は、滋賀県大津市の瀬田唐橋(せたからはし)のたもとに位置しますが、この橋は奈良や京の都に通じる街道に架けられており、最後の難所、琵琶湖を迅速かつ安全に渡ることのできる唯一の橋でした。また、皇位継承問題が原因で起こった「壬申(じんしん)の乱」(672)をはじめ、数々の戦乱の舞台となったところでもあります。
建部大社の創建は、白鳳(はくほう)4年(675)と伝えられています。この地に祀られてから1300年以上たちますが、もともとは景行天皇(ヤマトタケルの父)の命によって、現在の滋賀県東近江市五個荘伊野部町(ごかしょういのべちょう)にヤマトタケルの御霊(みたま)をお祀りしたのが始まりです。御霊を祀ったのは、ヤマトタケルの妻、フタチヒメノミコトとお子のタケベイナヨリワケノミコト。このお子が日本の古代氏族の1つである建部(たけるべ)氏の始祖で、軍事に長けた建部一族は瀬田一帯を守護するために現在の場所に住まいを移しました。その関係で、建部一族の氏神さまだった建部大社も今の地に祀られるようになったのです。つまり、建部一族にとって、ヤマトタケルは先祖に当たります。
建部大社にはもう1柱(はしら/神様は柱と数える)の神様、オオナムチ(オオクニヌシの別名)も祀られています。こちらは奈良時代に大和国の大神(おおみわ)神社から御霊を迎え、ヤマトタケルと一緒に祀られるようになりました。建部大社では、ヤマトタケルとオオナムチの2柱を合わせて、建部大神(たけべのおおかみ)と呼んでいます。
歴代の天皇や名将にも信仰され、なかでも源頼朝(みなもとのよりとも)が前途を祈願したことが『平治物語(へいじものがたり)』に記されています。永暦(えいりゃく)元年(1160)、当時14歳の頼朝が伊豆に流されるため、京から東国に向かう途中、社にこもって前途を祈願。その約30年後、源氏再興がかなって上洛する際にも、祈願成就のお礼参りに立ち寄りました。
■『NHK趣味どきっ! 幸せ運ぶ! ニッポン神社めぐり』より
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近江国一之宮の一之宮とは、その国を守る随一の神社という意味です。つまり、建部大社は近江国(滋賀県)全体を守護する神様を祀る場所でした。社(やしろ)は、滋賀県大津市の瀬田唐橋(せたからはし)のたもとに位置しますが、この橋は奈良や京の都に通じる街道に架けられており、最後の難所、琵琶湖を迅速かつ安全に渡ることのできる唯一の橋でした。また、皇位継承問題が原因で起こった「壬申(じんしん)の乱」(672)をはじめ、数々の戦乱の舞台となったところでもあります。
建部大社の創建は、白鳳(はくほう)4年(675)と伝えられています。この地に祀られてから1300年以上たちますが、もともとは景行天皇(ヤマトタケルの父)の命によって、現在の滋賀県東近江市五個荘伊野部町(ごかしょういのべちょう)にヤマトタケルの御霊(みたま)をお祀りしたのが始まりです。御霊を祀ったのは、ヤマトタケルの妻、フタチヒメノミコトとお子のタケベイナヨリワケノミコト。このお子が日本の古代氏族の1つである建部(たけるべ)氏の始祖で、軍事に長けた建部一族は瀬田一帯を守護するために現在の場所に住まいを移しました。その関係で、建部一族の氏神さまだった建部大社も今の地に祀られるようになったのです。つまり、建部一族にとって、ヤマトタケルは先祖に当たります。
建部大社にはもう1柱(はしら/神様は柱と数える)の神様、オオナムチ(オオクニヌシの別名)も祀られています。こちらは奈良時代に大和国の大神(おおみわ)神社から御霊を迎え、ヤマトタケルと一緒に祀られるようになりました。建部大社では、ヤマトタケルとオオナムチの2柱を合わせて、建部大神(たけべのおおかみ)と呼んでいます。
歴代の天皇や名将にも信仰され、なかでも源頼朝(みなもとのよりとも)が前途を祈願したことが『平治物語(へいじものがたり)』に記されています。永暦(えいりゃく)元年(1160)、当時14歳の頼朝が伊豆に流されるため、京から東国に向かう途中、社にこもって前途を祈願。その約30年後、源氏再興がかなって上洛する際にも、祈願成就のお礼参りに立ち寄りました。
■『NHK趣味どきっ! 幸せ運ぶ! ニッポン神社めぐり』より
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