元禄期に大ブームを巻き起こしたツツジ

江戸キリシマ系の代表品種、本霧島。三之丞が『錦繍枕』で選んだ「ツツジ5花」の一つ。撮影:成清徹也
2020年東京オリンピック・パラリンピックを1年後に控え、日本人の美意識や栽培技術が花開いた江戸の園芸を見つめ直す12回シリーズ「大江戸 花競(くら)べ 十二選」。第2回は元禄期に江戸で一大ブームを巻き起こしたツツジを取り上げます。お話をうかがったのは、ツツジの専門家で新潟県立植物園の倉重祐二(くらしげ・ゆうじ)さんです。

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■染井に‘霧島’3銘木が集結

人里近くに生えることからツツジは『万葉集』の時代から人々に親しまれてきました。今日に残る園芸品種がつくられ始めたのは江戸時代初期のことです。
人気の引き金となったのは霧島山から出たとされる‘本霧島’。正保年間(1644〜48年)に薩摩から大坂へ伝わった1株が5本に増殖され、明暦2年(1656年)、そのうち3本が江戸に運ばれました。
染井(現在の豊島区駒込付近)の植木屋伊藤伊兵衛三之丞(いとう・いへいさんのじょう)は自宅の庭にこの3銘木を飾り、「霧島屋」を名乗りました。三之丞は全国からさまざまなツツジを集め、元禄5年(1692年)には335品種を集成した『錦繍枕(きんしゅうまくら)』を刊行。そのなかで開花期の遅い品種を「さつき」として区分しました。現在では、江戸で発達した‘本霧島’に類似の品種を「江戸キリシマ」と総称しています。

■クルメツツジの普及は20世紀

このツツジブームは1700年には終わりますが、文化期(1804〜18年)には染井から大久保(現在の新宿区)に栽培の中心が移り、新名所として知られるようになりました。
一方、九州の久留米藩では天保時代(1830〜44年)から‘本霧島’などの実生によりクルメツツジが作出されましたが、当初は門外不出で、全国に普及したのは明治時代末期の1900年ごろからのことです。
■『NHK趣味の園芸』2019年5月号より

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