漱石の異色作『夢十夜』を読むヒント
『夢十夜』は、第1回で読んだ『三四郎』とほぼ同時期に書かれた作品です。タイトル通り、第一夜から第十夜まで、登場人物やシチュエーションのそれぞれ異なる夢のなかの出来事が綴られる十の作品群で構成され、そのうち四編が「こんな夢を見た」という書き出しで始まります。
不思議な作品なので、納得できない、どう読んだらいいのかわからないと不安になったり、「これ、小説なの?」とか「あれ? これで終わり?」とびっくりした人も多いかもしれません。しかし、実はこの作品を楽しむコツは、まさにこの不安やおどろきとかかわっている、と東京大学教授の阿部公彦(あべ・まさひこ)さんは言います。そんなことも含め、今回は漱石の作品のなかでも異色の『夢十夜』とどんなふうに接したらいいか、そのはじめの一歩となるような「読むためのヒント」について考えてみましょう。
* * *
『夢十夜』と『三四郎』を両方読んでみると、二つの作品の読み心地がまったく違うことに気づかれるでしょう『三四郎』はかなり小説らしい小説として書かれています。小説の約束事とでもいうべきルールを守って書かれている。小説の約束事とは何か。あまり意識しないかもしれませんが、小説にはいくつもの「暗黙の了解」があります。たとえば、主人公は必要。物語はこの主人公の目に寄り添う形で語られることが多い。いわゆる「視点」の設定です。恋愛小説なら、恋の対象となる人も出てくる。でも、こちらからは何を考えているのかわからなかったりする。そこにサスペンスも生まれます。また、意外と大事なのはこの恋愛を助けてくれる人や、邪魔する人などが出てくること。個人の恋愛や欲望が、こうして人間関係のなかで「社会化」されるわけです。
もう少し踏み込んでみましょう。今のような形でストーリーが語られる場合、大事になるのは何か。『三四郎』の回でも触れたように、それは「こころ」の描き方です。主人公を中心とした登場人物たちが何を、どんなふうに考えるか、そこを表現したい。そして「ああ、そうだよね」とか「へえ、そんなふうに感じるのか」と思わせたい。
ただ、ちょっと考えてみるとわかるように、私たちは自分の「こころ」がどのようなメカニズムで動いているかよく知らない。ましてやそれにうまい表現を与えるとなるとなかなか難しい。だからこそ、この数百年の間、小説家はいろんな工夫を重ね、その時代や文化に合う形で「こころ」を言葉にするための方法を練り上げてきたのです。
そのためのもっとも便利な道具は、先ほどあげた「視点」です。ちょっと意外に聞こえるかもしれませんが、「こころ」を描くためにもっとも有効なのは、「こころを描かない」ことなのです。なぜなら、「こころ」の「こころらしさ」は、そう簡単には外から見えない、というところにあるから。近代個人主義社会を支えてきたのは、一人一人が自分の「こころ」を持っているという前提です。誰もが自分だけの、プライベートで、替えの効かない内面を持っている。このかけがえのなさを保証するのは、「奥のほうにあってよく見えない」という状態なのです。可視性が低い。小説家はこうした「見える、見えない」の度合いを「視点」という装置をうまく使って調整するわけです。
そのためのわかりやすい方法としては、表に出ているものと裏に隠れて見えないものをならべて描くということがあります。たとえば人物が口にしたセリフはカギ括弧で示し、裏でこっそり考えていることは地の文に、と描くようにすると、めりはりの効いた奥行きができます。あるいは隠れて奥のほうにある「こころの秘密」は誰かからの伝聞として示すとか、過去の思い出として描くとか、手紙やメールで開示するといった方法もあります。こうすると、奥行きのある世界のなかで、その一番奥の見えにくいところに「こころ」が隠れているという状態を描き出しやすいわけです。
可視性は低いけれど、ちらっと見える。ふだんは隠れているけれど、たしかにある。こうなるとますます「こころ」を見たくもなってきます。小説というジャンルはこうした「こころをもっと見たい」という欲望に支えられてきました。また、小説を読むことでこそ、「こころをもっと見たい」とか「人間のこころは不思議なものだ」といった感覚を学びもします。こうした感覚が、ひいては近代個人主義社会を支える「他者のこころ」への敬意にもつながっているわけですから、小説の社会的な役割は決して軽視できないと思います。
漱石は、こうした小説の約束事をせっせと自分の作品に取り込んでいく一方で、そうした約束事について、ちょっと「面倒くさい」と思っていたかもしれません。一方で『三四郎』のようにルールを守る小説も書こうとしたけれども、ルールを無視し、もっと自由な書き方をしても読者をおもしろがらせることは可能なのではないか、とも考えた。それが『夢十夜』という作品なのではないか。西洋小説的なルールをいったん忘れ、原稿用紙数枚のスペースで何ができるか試してみた。
そうして十のヴァリエーションをつくりあげ、ショーケースのように並べてみたのです。創作を楽しんでいる漱石の姿が、私には見える気がします。
※続きはテキストでお楽しみください。
■『NHK100分de名著 夏目漱石スペシャル』より
不思議な作品なので、納得できない、どう読んだらいいのかわからないと不安になったり、「これ、小説なの?」とか「あれ? これで終わり?」とびっくりした人も多いかもしれません。しかし、実はこの作品を楽しむコツは、まさにこの不安やおどろきとかかわっている、と東京大学教授の阿部公彦(あべ・まさひこ)さんは言います。そんなことも含め、今回は漱石の作品のなかでも異色の『夢十夜』とどんなふうに接したらいいか、そのはじめの一歩となるような「読むためのヒント」について考えてみましょう。
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『夢十夜』と『三四郎』を両方読んでみると、二つの作品の読み心地がまったく違うことに気づかれるでしょう『三四郎』はかなり小説らしい小説として書かれています。小説の約束事とでもいうべきルールを守って書かれている。小説の約束事とは何か。あまり意識しないかもしれませんが、小説にはいくつもの「暗黙の了解」があります。たとえば、主人公は必要。物語はこの主人公の目に寄り添う形で語られることが多い。いわゆる「視点」の設定です。恋愛小説なら、恋の対象となる人も出てくる。でも、こちらからは何を考えているのかわからなかったりする。そこにサスペンスも生まれます。また、意外と大事なのはこの恋愛を助けてくれる人や、邪魔する人などが出てくること。個人の恋愛や欲望が、こうして人間関係のなかで「社会化」されるわけです。
もう少し踏み込んでみましょう。今のような形でストーリーが語られる場合、大事になるのは何か。『三四郎』の回でも触れたように、それは「こころ」の描き方です。主人公を中心とした登場人物たちが何を、どんなふうに考えるか、そこを表現したい。そして「ああ、そうだよね」とか「へえ、そんなふうに感じるのか」と思わせたい。
ただ、ちょっと考えてみるとわかるように、私たちは自分の「こころ」がどのようなメカニズムで動いているかよく知らない。ましてやそれにうまい表現を与えるとなるとなかなか難しい。だからこそ、この数百年の間、小説家はいろんな工夫を重ね、その時代や文化に合う形で「こころ」を言葉にするための方法を練り上げてきたのです。
そのためのもっとも便利な道具は、先ほどあげた「視点」です。ちょっと意外に聞こえるかもしれませんが、「こころ」を描くためにもっとも有効なのは、「こころを描かない」ことなのです。なぜなら、「こころ」の「こころらしさ」は、そう簡単には外から見えない、というところにあるから。近代個人主義社会を支えてきたのは、一人一人が自分の「こころ」を持っているという前提です。誰もが自分だけの、プライベートで、替えの効かない内面を持っている。このかけがえのなさを保証するのは、「奥のほうにあってよく見えない」という状態なのです。可視性が低い。小説家はこうした「見える、見えない」の度合いを「視点」という装置をうまく使って調整するわけです。
そのためのわかりやすい方法としては、表に出ているものと裏に隠れて見えないものをならべて描くということがあります。たとえば人物が口にしたセリフはカギ括弧で示し、裏でこっそり考えていることは地の文に、と描くようにすると、めりはりの効いた奥行きができます。あるいは隠れて奥のほうにある「こころの秘密」は誰かからの伝聞として示すとか、過去の思い出として描くとか、手紙やメールで開示するといった方法もあります。こうすると、奥行きのある世界のなかで、その一番奥の見えにくいところに「こころ」が隠れているという状態を描き出しやすいわけです。
可視性は低いけれど、ちらっと見える。ふだんは隠れているけれど、たしかにある。こうなるとますます「こころ」を見たくもなってきます。小説というジャンルはこうした「こころをもっと見たい」という欲望に支えられてきました。また、小説を読むことでこそ、「こころをもっと見たい」とか「人間のこころは不思議なものだ」といった感覚を学びもします。こうした感覚が、ひいては近代個人主義社会を支える「他者のこころ」への敬意にもつながっているわけですから、小説の社会的な役割は決して軽視できないと思います。
漱石は、こうした小説の約束事をせっせと自分の作品に取り込んでいく一方で、そうした約束事について、ちょっと「面倒くさい」と思っていたかもしれません。一方で『三四郎』のようにルールを守る小説も書こうとしたけれども、ルールを無視し、もっと自由な書き方をしても読者をおもしろがらせることは可能なのではないか、とも考えた。それが『夢十夜』という作品なのではないか。西洋小説的なルールをいったん忘れ、原稿用紙数枚のスペースで何ができるか試してみた。
そうして十のヴァリエーションをつくりあげ、ショーケースのように並べてみたのです。創作を楽しんでいる漱石の姿が、私には見える気がします。
※続きはテキストでお楽しみください。
■『NHK100分de名著 夏目漱石スペシャル』より
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